以前、都市計画に関わったあと、文化財にも関わった市職員の方と話したことがあります。
都市計画の部署というのは、「これからの町」の作り手です。「これから」を作るためには「これまで」とどう向き合うかを考える必要があります。
その職員は、昨日までと今日からの立場の違いに混乱したと言うのです。「壊す」側と「残す」側です。
彦根市は、足軽組屋敷がいくつも存在し、いくつかの中級武士の屋敷跡の場所も明らかになっています。そして、足軽組屋敷はそれぞれに「彦根市の指定文化財」として保存・保護の対象となっています。
これは「文化財の保護」という意味での施策です。そして、その延長に「世界遺産登録」があるのではないでしょうか。
「世界遺産登録」の意味を改めて考える必要があります。「登録」に必要なことは、保全された「実物」がそこに存在することだと思います。「そこに『存在した』」というものではなく、現実的にそこに「存在する」ことが重要なはずです。
2017年10月にNHKおはよう日本の中で、ウイーン(町全体が世界遺産)の高層マンション計画について触れていました。http://blog.tujimariko.jp/?eid=1334705
その中で、ユネスコから建設計画がすすむようであれば、世界遺産登録から抹消することもあり得るとの勧告があったことが紹介されました。同時に、ドイツのドレスデンのエルベ渓谷が川に架橋したことで登録が抹消されたことの紹介もありました。
これが世界のスタンダードなのです。
今回、新ごみ処理施設候補地への搬入路について、新たに市道大藪金田線を延長して、荒神山にトンネルを作って、稲村山農道とを繋ぐ構想が出てきました。
荒神山には山頂近くに前方後円墳があります。もしかして、トンネル予定地となるべき箇所を含めて、山全体が遺跡であることもあり得ます。これは文化財の事前調査の結果を待つ必要がありますが、文化財と開発とのせめぎ合いに発展することも考えられます。
以前、切通口御門跡の発掘現場の観察会に参加したことがあります。http://blog.tujimariko.jp/?eid=1334525
http://blog.tujimariko.jp/?eid=1334260
その時に、文化財担当の職員から、このような礎石が見つかっているのは、江戸と彦根だけだという報告を聞きました。
この遺跡を「見える」化することも大切だという意見を新聞記者からも聞きました。
そこで、考える必要があるのが、市役所の組織です。今年の3月までは教育委員会の中に「文化財部」がありました。しかし、2月定例会で事務分掌条例改正が提案され、組織の変更が行われました。今にして思えば、この組織の変更によって「文化財部」がなくなり、「都市建設部」が「歴史まちづくり部」の中の「文化財課」へと変わったことを、獅山議員とともに反対すべきだったと反省しています。
それは、切通口の問題を例にとれば分かって貰えると思います。国体のために、立花町の市道の拡幅は必要であり、その拡幅部分に御門の礎石がある。新聞記者が言っていましたように、スケルトンで歩道下に保存するのかどうかの議論がどのようにして行われるのか、ということです。歴史まちづくり部の内部での話になってしまいます。そこでの「結論」を部長会議などへ持っていく必要があります。
しかし、従来のように、「文化財部」と「都市建設部」という別の部署での話であれば、結論は部長会議に委ねられることになったはずです。そして、そこでは市長の「町のあり方」の考えが試される筈だったのではないでしょうか。もちろん、そのような議論なしに市長が決定を下すおそれがないとは言えませんが、本来、そのような大きな問題(文化財行政のあり方)では、市長の持つ「町のあるべき姿(町の将来像)」が開陳されなければ嘘であり、そのことが世界遺産登録との関連でどのようなスタンスであるのかが試されるはずです。
このような意味から、文化財行政をもう一度見直すべきではないかと考えます。