事前の調査

議会での質問に、事前の調査はとても大切です。

 

9月定例会では、正副議長・監査委員を除く21人が登壇します。20年くらい前は、定例会での質問は「代表質問」だけで、「個人質問」はほどんどなかったと聞いています。しかし、現在ではほぼ全員が登壇して、質疑や一般質問をします。

 

一般質問は、定例会ごとに事前に準備をすることができます。普段から疑問を感じていることがあれば、3ヶ月をかけて準備ができるからです。

 

しかし、質疑や提案された議案に関連する質問の場合は、およそ半月弱で準備をしなければなりませんから、それなりに大変です。

 

事実関係を調査し、これまでの議会などで発言された理事者側の答弁との整合性の確認も必要ですし、資料の調査には時間を要します。

 

9月定例会では、私を含めて3人が市民会館解体(取壊しにための調査費用が予算計上された)に関連する質問をします。

 

 

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記憶や聞きかじった噂などを元にしたり、自分勝手な解釈で質問をすると、話が前に進まなくなってしまいます。そこで必要なことは、公文書公開制度に基づく情報公開請求であり、市が発行している書籍や日常公開されている情報などを如何に手早く調査するかにかかっています。

 

ですから、私の場合には、1つの質問で100ページ以上の資料を集め、分析することもあります。しかも、発言通告書を出すまでに調査・分析を済まさなければなりませんから、議案配布後は慌ただしいことになります。

 

そこで、以前に調べた江戸時代の人口調査の表をご覧下さい。出典を記録しておかなかったのと、町の人口調査の範囲が各調査年代ごとに同一であるのかも失念しています。この記事を書いている途中で、もしかしたらウィキペディアの中から探し出したのかも知れないと思い出しました。

 

いずれにしても、彦根の人口の推移を知ることの手がかりになります。

 

最初の表は、1650年前後の全国上位30の町のものです。

 

それを見ると全国11番目の都市規模だったと言えます。

 

2番目の表は、1873年前後の全国上位37の町のものです。223年の経過で、一気に37番目に陥落しました。

 

 

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当然に理解できることは、彦根藩が誕生して直後の1650年にはとても勢いのある町だったということです。そして、1860年の桜田門外の変で辛うじて取り潰しだけは免れたものの減封されたことによって、武士も職を失ったり、商家も減少したりして、一気に13,000人余りの人口が減少(1650年と比べて、約3分の1の減少)したことが分かります。

 

そのことによって、例えば松江には今日に至るまで江戸時代から続く商家(茶文化関連)が多く残っていることと対比されることもあります。

 

そのような歴史的事実の上に、今回上程された市民会館解体問題がどのように関係するのかということですが、その事情は次のとおりです。

 

彦根市は25年以上にわたって、国宝彦根城の世界遺産登録を推進しています。市長が代わっても、副市長が替わっても、その方針は継続し、大久保市長も世界遺産登録を3年前の公約にも掲げ、今年5月にはHPに次のように記しています。

 

彦根市は、滋賀県とともに、彦根城の世界遺産登録に必要な推薦書原案を、令和2年(2020年)3月31日に、文化庁に提出しました。

推薦書原案は、世界遺産としての価値とそれを保護・管理するための計画を記載した文書で、地方自治体が作成します。世界遺産としての推薦が決まると、この原案をもとに国が推薦書を作成し、ユネスコに提出します。

このたび提出した推薦書原案は、文化庁の文化審議会において審議される予定です。
彦根市と滋賀県は、令和4年(2022年)度の国内推薦、令和6年(2024年)度の世界遺産登録をめざしています。

 

その一環として現在も残っている足軽屋敷が数多く市の指定文化財に指定されてきました。

 

しかし、残念ながら、「武家屋敷」といわれる中級以上の武家屋敷はほとんど残っていません(と思います)。なぜ武家屋敷が残っていないのかと疑問に思っていましたが、今回の議案を審議するにあたり、更に調査を進め、過去の土地台帳、古図、御城下惣絵図、新修彦根市史に掲載されている城下町関連の図版などを対象としました。

 

 

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すると、市民会館の敷地は中級武士の屋敷が建っていて、敷地内にまるまる4棟の武家屋敷の敷地が含まれ(他にも一部の武家屋敷敷地も含まれる)、その敷地を貫通する道路は現在のその延長がしっかりと残っていることが分かりました。

 

しかも、幕末に人口減少でここに住んでいた武士が退去して、一時期は多くが「畑」になっていたことを土地台帳から確認することができました。

 

更に、新修彦根市史(第10巻)には、そのうちの1棟の間取り図も掲載されています。そうであるなら、他の屋敷の調査もできているのかも知れません。

 

城郭内にも家老級の屋敷もありますが、そちらの調査がどれほど進んでいるのか、興味が尽きません。

 

城下町は大名を筆頭とした階級社会であり、大名ひとりが城下町を支配したのではありません。それぞれの武士が役割に応じて屋敷を構え、それぞれの立場で、飢饉などで領民の困窮時には徳政令を出したり、藩米を配ったりしたわけですから、まさに今のコロナ禍と同じようなことだったのではないでしょうか。

 

このような時代背景を考えたとき、城下町を目指して訪れて下さる観光客にも、彦根城を町の誇りだと考える市民にも、ここ(市民会館敷地)に武家屋敷が存在し、そこでの暮らしがあり、職住接近した好位置がこの場所だったことを残し(復元)ておくことの意味は大きいと考えるのです。

 

更には、戦後、彦根の風土病とも言われた「マラリア」撲滅のために大規模に埋め立てられた外濠の跡の一部が「空堀」として再現されていますが、御城下惣絵図によれば、「土居(幅5間半)」があって現在の県道彦根港彦根停車場線が外濠であったわけで、既にある空堀と土居の整理も必要になるでしょう。

 

 

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ましてや、城内の駐車場を全廃する考えが示されているわけですから、この場所は地理的には城外とはいえ、地政学からすれば、「城内」と扱うべきで、その方向性との関係にも留意すべきでしょう。

 

観光という面から考えれば、「点」ではなく、「面」での展開が必須です。

 

もしも、この場所にゾーンとして武家屋敷群が復元されるならば、(現在の)市民会館から旧池田屋敷長屋門〜埋木舎〜佐和口多聞櫓(開国記念館)〜内濠という回遊コースが設定できます。

 

 

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考え方は、以前に訪れました萩市の「まちじゅう博物館」にも似ています。

 

これだけの企画の実現には並大抵の努力がなければ出来ないかも知れませんが、「できる方法」を探しつつ、真剣に検討すべき問題だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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