個人質問への答弁(9月15日)

令和2年9月定例会での個人質問が終了しました。

 

発言開始(13:53)から、ちょうど1時間の14:53に終了しました。発言の制限時間(30分)を僅か数秒残しただけでした。

 

カタログチョイスの質問と職員の公益通報については想定どおりの答弁で順調に進みました。

 

さて、ここでは3項目めである市民会館解体について、少し書いてみたいと思います。

 

この日の登壇者では、3人が市民会館の解体について発言しました。最初に登壇しました谷口議員の質問の中で、私の答弁の呼び水となる答弁がありました。質問は、この敷地での法令上の質問でした。

 

建築基準法上の制限として、第一種中高層住居専用地域であること。従って、一定規模での飲食・物販の建物が認められることが明らかになりました。ところが、帰宅後に「彦根まっぷ」で都市計画について改めて調べましたところ、市民会館の敷地は、「都市機能誘導区域」に含まれていることが明らかになりました。

 

さて、このような前提のもと、矢吹議員から、駐車場にしてはどうかという提案がありました。私はこの発言通告書を見て、私なりの考えを少しだけ示しておかなければならないと思いましたので、考えの一端を発表しました。

 

まず、市民会館跡地については、確かに「市民会館」建設のために地権者である滋賀県護国神社から借り受けているものです。このことは、登記簿や、公文書公開請求で入手しました賃貸借契約書から明らかになっていました。ただし、鉄筋コンクリートの建物敷地ですから、本来、1年ごとの契約であることの意味を追及するつもりでした。土地の賃貸借契約は旧借地法が借地借家法に衣替えをして、貸主の権利が強くなったとされています。今回の解体工事でさえ、(議会の議決が必要ではあるものの)純粋な解体工事だけでも約1年弱の工期が必要になると見込まれています。賃貸借契約に「6ヶ月前の予告による」中途解約条項があるわけで、万一、貸主が契約期間中や(1年の)期間満了時に更新をしないと通告してきた場合のリスクを考えているのかどうかです。借主としての権利を盤石にするためには、6ヶ月という予告期間だろうかというものです。更には、堅固な建物の敷地についての契約期間は最低でも30年であるという民法上の規定との整合性について、明確な答弁が求められるものではないでしょうか。

 

契約についてのことを、それ以上に追及していては時間が足りなくなりますから、そこで終わりましたが、ただ単に「会計年度」に従ったというのは、問題意識が希薄であると言わざるを得ません。

 

次に、土地の返却の問題です。契約書上、市民会館がなくなれば土地の返却をすることは当然のことです。しかし、この土地が持つ歴史的な観点から、このような一団の土地が(彦根市の支配下で)なくなってしまうことで考えられるデメリットを想像できないのでしょうか。

 

確かに、一旦は土地の返却をする義務は生じます。しかし、並行して、この土地の持つ価値を考えたときに、どうすべきか(どう活用できるのか)を考えるべきなのは、まちづくりの基本的な方針を考えるべき行政の知恵の出しどころだと思うのです。地権者がまちづくりの観点で持ち出すアイデアと、行政が持ち出すアイデアとを比較したときに、どちらがイニシアティブを持つかによって、その後の運用における差が出てくることは明らかです。

 

いま、私は行政の持つべきイニシアティブをどのようにとるべきかという観点から、この記事を書いています。

 

このようなことは、本庁舎の増築工事が本決まりとなったときから考えておくべきことがらだったはずです。そのことをおざなりにして、漫然と解体工事をすることだけしか考えていなかったとすれば、まちづくりの司令塔が単視眼的であることの証左ではないでしょうか。

 

「市民会館を解体する」→「土地を返却する必要がある」→「でも、城下町という彦根の中で、この土地が持つポテンシャルとして、活用方法はないのだろうか」という考えが出てきて然るべきです。

 

「できないことを捜す」のではなく、「できる方法を見つけ出す」のが、夢のあるトップが発想すべきことだと思うのです。

 

市長は私の提案に対して、次のような「できない」理由を挙げました。

「武家屋敷を復元するための資料に乏しい」と。

 

私は歴史の専門家ではありませんし、建築家でもありません。しかし、彦根のまちを愛する気持ちは人後に劣らないと自負しています。

 

もしも、武家屋敷を復元できないというのであれば、彦根城博物館(表御殿)はどうして特別史跡内に鉄筋コンクリート造でできたのでしょう? そこには「熱意」があったからではないでしょうか。

 

市長が公約で「世界遺産登録」を掲げていました。

 

市長の答弁では、世界遺産の対象を極々限定して「特別史跡」内を対象にしているから、バッファゾーンである武家屋敷などがあった区域は「関係ない」かのように受け取れるものでした。それならばなぜ足軽組屋敷を多く、市の指定文化財に登録したのでしょう。

 

藩主がいて、家老がいて、そして中級武士、下級武士がいて、足軽、町人がいてこそ「城下町」が成り立っていたのではないでしょうか。江戸時代の統治機能が残されているというのであれば、その一部を示す中級武士の屋敷群が目の前に(現実に)存在することが、いかに来訪者に感銘を与えることでしょう。その屋敷が濠(外濠)の内側にあって、そこは町人の暮らす町とは土居によって明確に区分され、城内で一旦緩急あれば駆け足で城内に赴くという世界があれば、どれだけのリアリティを人の心に訴えられるでしょう。

 

文化財担当の職員の中に、「あそこに武家屋敷が復元できればよいのに」と思う人はいないのでしょうか? それでこそ、文化財を担当したいと願って市職員になった人であれば、200年以上前の彦根を復旧したいと思うのではないでしょうか。そのことが「できる方法」を探し出すことも大きな仕事だと思うのです。それこそが「やりがいのある仕事」ではないでしょうか。私はその目を摘んでしまいたくないのです。

 

次の図はそのための宝の入口へ誘う走り書きです。

 

 

20200916001

 

数日後から、彦根市HPの市議会>映像配信(現在は本庁舎工事中のため音声のみ)でお聞き下さい。

 

 

 

 

 



search this site.

プロフィール

カレンダー

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>

最近の記事

カテゴリ

アーカイブ

リンク

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM