2月11日から13日、私の所属する会派「ガバナンス21」の行政視察に行って参りました。
行き先は沖縄。戦後長い間ご苦労いただいた沖縄県民のご苦労と現在を見ること。そして、音楽療法を行っている病院、更に、現在国会でも問題になっている辺野古への普天間基地移転問題をよりよく知るために現地を視察してきました。
今を去ること65年前。沖縄は焦土と化しました。いろいろな映像でも分かるように、火炎放射器を用いて、防空壕に火炎を浴びせる米兵戦士の映像は、見ているだけで背筋が凍り付くのですが、現地でその防空壕を見ると、写真のようにたて穴を掘ったものもあったようです。当然に中での生活というものは、とても人が人として暮らせるものでなかったであろうと想像することはたやすいことでした。
ひめゆり平和記念館を訪れ、現在の平和のために犠牲となった沖縄県民のご苦労を改めて知ることができました。
ひめゆり平和祈年資料館からほど近くに沖縄県平和祈年公園があり、その中に、「近江の塔」があり、そこには滋賀県出身者の戦没者の名前が刻まれた石碑もありました。遠く滋賀県から沖縄の地で無念の死を迎えた皆様のご冥福をお祈りいたしました。
町を走ると「辺野古への基地移転反対」の看板が貼られていました。
沖縄の地で「もったいない」を見ました。嘉田由紀子滋賀県知事のスローガンでもある「もったいない」が、珊瑚を壊すことにひっかけて「ゴサン」としている表現でした。
翌12日には、うるま市にある医療法人和泉会のいずみ病院で行われている音楽療法の現場を視察いたしました。病院内部の撮影は厳禁とのことで写真のないのが残念です。彦根市立病院でも、私の知り合いの「Re:」のお二人が音楽療法による緩和ケア病棟での癒しをしておられるのですが、ここいずみ病院では蛇皮線を使って、沖縄民踊で機能回復を目指しておられました。機能回復を必要とする人にとっても、認知症の人にとっても、幼い頃から触れてきた音楽を耳にすると、自然に身体が反応するようでした。
そういえば、私のかつて習った音楽の先生が、病に倒れてからも、音楽が聞こえてくると、自然とタクトを振る仕種をされていました。しかも、リズム正しく。
このことを実感した音楽療法の効果だと思いました。
とても参考になる見学の機会を得ることができました。
患者の皆さんは、早く元気になって社会に復帰しようとしている人と、残念ながらご自分の最期のときを静香に迎えようとしている2つに別れるのだと思います。特に、彦根市立病院の緩和ケアは有名で、各地から琵琶湖を望める病棟に待機してまでも入院しておられると聞いています。
いずれの患者であったとしても、心の安寧の中で治療をし、静養をすることで、人が人らしく時を送っていくことが重要なのだと感じました。
最終日には、自民党政権が長い時間をかけて地ならしをした辺野古のキャンプシュワブ周辺を視察いたしました。推進派の事務所、反対派の座り込みのテントの双方を訪れ、住民の生の声を聞くことができました。
普天間基地で起きたヘリコプター墜落事故を受けて、余りにも街の中心にある普天間基地を別の場所に移転する必要性は当然としても、その背景にある経済効果の問題や雇用問題など、簡単に結論の出ない問題ではありますが、5月に結論を出すということを鳩山首相は何度も明言されています。
社民党と国民新党の意見の違いはありますが、沖縄県民だけではなく、日本の平和と安全という視点に重きを置いて、方向性を導き出してもらいたいと願っています。
そんなに広くはないと思って訪れた沖縄でしたが、本島の半分以上を移動した3日間。
私の関わっている病院の問題と、国政にも絡む問題を一度に視察したことで、いささか心と身体に心地よい疲れを感じて、寒い湖国に戻ってきました。