第20回茶話会in彦根「かだ由紀子と語る会」
昭和25年に埼玉県本庄市に養蚕家の3人兄妹の末っ子としてお生まれになった知事は、中学校の修学旅行で琵琶湖に出会って感動し、京都大学農学部に進学され、昭和56年に京都大学農学部農学研究科博士後期課程を修了されて滋賀県庁に入庁されました。滋賀県との長らくのおつきあいの中、平成7年の知事選挙で「もったいない」を掲げて初当選され、今日に至っておられます。
そう考えると、知事と私は同じ時期に同じ京都の町の空気を吸っていたことになります。
私は受付のお手伝いをさせていただきました。
席上、知事は「もったいない」の精神を貫いて、滋賀県の財政の立て直しに尽力されたことに、県民として本当に感謝しております。新幹線栗東新駅の中止により、長期的に1,000億円(彦根市の総予算の約3倍)の節約や、事業の見直し、人件費のカットにより4年間で560億円の節約をして、お陰で夕張市のような財政再建団体に転落することなく済み、次世代への借金を少なくすることができました。これは嘉田知事にしかできないことだったと思います。
一方、新幹線栗東新駅の中止を決定した跡地には大手電池メーカー・GSユアサの誘致を行われました。この誘致に際しては、最大70億円の工場誘致の奨励金制度をもつ岡山県と誘致合戦があったようですが、最終的には本社に近く交通の利便性から、栗東に工場立地をすることが決定いたしました。
さて、県政全般の話の次には、彦根市との関わりを少し書かせていただきます。
滋賀県の施策としてのマザーホスピタル事業があります。ご承知のように彦根市立病院では産婦人科の医師不足から分娩が停止(院内助産所を除く)していますが、マザーホスピタル事業の一環として、滋賀県成人病センターから2人の優秀な産婦人科医を派遣していただき、週に1日ずつ2人の医師が来ていただいているお陰で、婦人科の診療・手術がほぼ回復するところまで至っています。
滋賀県の歴史の中では、明治時代初期の廃藩置県の際に、近江国のほぼ全体を掌握していた彦根藩の居城地であった彦根市と大津市との間で県庁の綱引きがあったことは有名で、わずか1票差で彦根が敗れ、県庁が大津に行ったという有名な話が残っています。しかも、現在の「滋賀県」という名称になる前の彦根地域の県名も「犬上県」や「長浜県」となるなど、「彦根県」という名前は歴史上一度たりとも存在しなかったわけで、その怨念が残っているのかと思わざるを得ません。
それ以来、彦根と大津が何かと比較対象にされるようになったものですが、これとて、現在の平成大合併で大津市が志賀町(平成18年)を合併したのに引き替え、彦根市は相変わらず昭和43年に稲枝町を合併したままの状態が続いています。そのような彦根市で行われた「かだ由紀子と語る会」も無事に終了して、知事の熱い思いをひしひしと感じた半日でした。