市議会議長就任祝賀会

8月29日夕、彦根ビューホテルで、「大橋和夫氏の彦根市議会議長就任をお祝いする会」が開催されました。

市長、副市長をはじめとして多くの方々が顔を揃えられることもあり、出席いたしました。それと、9月定例会の代表質問の原稿もほぼ仕上がりましたので。

出掛ける前に朝日新聞の電子版を確認しましたところ、隣国・韓国では李明博大統領が指名をした首相候補をはじめとして計3名の閣僚候補が辞退を発表したとのこと。政治の世界は混沌とし、経済への影響があるかもしれません。このことは、我が国も同じ状況であり、民主党が代表選挙を行っている場合であるのか、円高・株安の状況打破のための対策を直ちに打ち出さないと、疲弊している日本経済が更に打撃を受けるのではないかと危惧する声があちこちから出ていることを、もっと真摯に受け止めないといけないと思います。


大橋議長祝賀会看板



大橋議長と西川議員
大橋議長と西川議員


中村善一郎県議の挨拶にはじまり、市長の祝辞がありましたが、やはり地元・高宮町の方々が多く、地元での活躍が目に浮かびました。また、議長の議会での経歴が記載された配席表を見、地元商工会や業界で活躍されていることを改めて知ることができました。

議長は夫と同じ彦根南ロータリークラブの会員でもあることから、ロータリー関係の出席者も見かけました。

同時に、演奏には彦根南メータリークラブで例会で演奏いただいていて、私の地元の昨年の文化祭にも来ていただいた「Re:」のお二人でした。


祝賀会でのRe:


途中、市長や副市長とも話す機会があり、先日の中学校給食の実施のための特別委員会での話題や、滋賀医科大学生の彦根訪問のことなどの感想やご意見を伺うことができました。


藤野元議長とともに


藤野元議長と記念に1枚、撮影いたしました。

同じ会派であったり、同期の議員同士の会合では話し合うことはあっても、議会においては議員と理事者という、ある意味、相対峙する立場ですから、このような場での情報収集と本音の部分での会話には、それなりの意味を感じて、会場を後にいたしました。


大橋議長祝賀会にて


明日は、代表質問の原稿を仕上げて、会派で読み合わせをいたしますが、今夜の集まりで得た情報によれば、今回の議会では、4つの会派すべての代表質問者は全員が女性議員とのことで、自分の実力のすべてを出し切るために、さぁ、頑張らねば。




彦根駅東地区まちづくり「お祭り広場」

8月28日夕方、区画整理事業が進んでいる彦根駅東口で、「まちづくり お祭り広場」が開催されました。

和太鼓の演奏の後、東中学校ブラスバンドによる演奏があり、しばし聞き入っていました。

東中学校ブラスバンドは、滋賀県吹奏楽コンクールで銀賞、中部日本吹奏楽コンクールでは金賞・最優秀賞を受賞するなど、その活躍が期待されており、昨年春のセンバツ高校野球に彦根東高校が出場した際にも、彦根東高校ブラスバンドの助っ人として参加してくれました。


東中ブラバン


暑さは残っているものの、幾分秋の気配を感じる駅前広場に吹奏楽の音色が響き渡りました。

他にも、ふれあいコーナーでは金魚すくいやスーパーボールすくい、ヨーヨー吊りなどで、これから力強くまちづくりを進めようとしている意気込みが感じられました。


にぎわい


彦根駅は背後に住友セメントの工場があった関係で、東口がなかったのですが、 昨年3月に東口が開設され、周辺住民にとっては朗報となり、今後駅前としての機能も広がっていくことでしょう。


滋賀医科大学生の彦根来訪

8月26日に滋賀医科大学生が彦根に来訪されました。医療・看護の現場を知るために毎年行われている事業で、事業の名称は「地域『里親』による医学生支援プログラム」と言います。この事業に尽力されている垰田和史(たおだ・かずし)准教授には頭の下がる思いです。

私は彦根市立病院の懇談会委員という立場で懇親会に参加させていただきました。

滋賀県の将来の医療を担っていただける学生たちやその教官、市内・周辺の病院長も出席され、医師の卵・看護師の卵を見つめておられました。

誰一人として病院・医院の世話にならずに一生を終えることはできません。どれだけ元気な方たちも、最後には医療関係者の世話になるのですが、これから益々増え続ける高齢者を考えると、どうか滋賀県内の医療に携わっていただきたいと祈るような気持ちです。

かつては滋賀県には医学部がなかったわけで、そのため、滋賀県内の医師には京都・岐阜をはじめとして全国各地の医学部出身者がいたのですが、 滋賀医科大学をはじめ全国47都道府県に医学部が設置されてからは、できるだけ県内の医学部で医療関係者を賄うようにする方針が示されました。もちろん、他府県からも滋賀医科大学に入学される学生もあって、すべての卒業生が県内の病院・医院に勤めるということはないものの、できるだけ滋賀県の実情を知っていただき、滋賀県の医療を担っていただければと願うばかりです。


松田副市長


米原市の在宅医療(地域包括ケアセンター「いぶき」)の実際を目にした学生たちはどのように映ったでしょうか。普段の講義などでは大学病院の中での経験でしょうが、公的病院のない米原市では、それに代わるものとして在宅医療に力を入れているわけで、高度医療は別の病院で、しかし慢性疾患などには在宅で家族の手厚い看護とともに往診する医師からの心温まる診療の話を聞かせていだきました。都市部ではマンションの林立により、そこに住む人たちが一気に高齢化した時の病院難民を想像すると、背筋が寒くなると感じました。

自宅に帰って調べてみますと、やはりその傾向を示していまして、私の高校の同級生(約500名)のうち、東京都在住者20名、神奈川県15名、千葉県16名、埼玉県9名、大阪府31名、京都府22名の計113名で、物故者23名、不達者39名を除いた割合はこれら6都府県で25%にも達します。彼らと同じように地方から都会へ行った団塊の世代が溢れ、病院の世話にならなければならなくなった時に、病院難民が大量発生するのではないでしょうか。


ひこにゃん登場


松田副市長の歓迎の挨拶の後、サプライズで、時間外勤務のひこにゃんが登場いたしました。一斉に「ひこにゃんだー。本物だよ。」と、それまでは静かだった会場は「ひこにゃん」コールで、会場は一気に盛り上がりました。あんなにひこにゃんの登場を喜んでいただけて、彦根市民として改めて嬉しく思いました。ひこにゃんの育ての親であり、現在は病院事務局長の長崎さんの目はウルウル。


ひこにゃんと学生1


なにしろ、ひこにゃんの生出演なんですから、無理もないかと思いました。あの可愛いおしりを振る動作も拍手喝采でした。どうか、ひこにゃんがもしも病気になったら、皆さん、手厚い看護をしてあげて下さいね。


ひこにゃんと学生達


多くの医療関係の方々や学生たちとお話しをする機会を得て、どうぞ彦根に、どうぞ滋賀県に居続けて下さるようにお願いいたします。

市民の健康と安心な暮らしを支える意味を改めて実感させていただくことができたひとときでした。


自治会改革

地元・千鳥ヶ丘自治会で、「組織改革検討委員会報告 第2号」という文書が8月22日に配布されました。

このブログを読んでいただいている方には、幾度か自治会の実情を見ていただいているのでお分かりかとは思いますが、少し、自治会のプロフィールを含めて書き起こしてみます。


chidori01
自宅3階から北方面を望む


chidori02
自宅3階から南方面を望む


北は芹川、西は雨壺山、東には名もない小高い岡、南は雨壺山が連なる岡を切り拓いて切り通しにした範囲が千鳥ヶ丘の区域です。芹川との間にある仏壇通りとも呼ばれる「七曲がり」沿いには、西から新町・芹中町・大橋町・元岡町・沼波町(これらはすべて「まち」と読みます。旧彦根町の範囲の旧町名はすべてが「まち」で「ちょう」ではありません。)が連なり、こちらは市制施行前の「旧彦根町」、千鳥ヶ丘の区域は「旧青波村」に属していました。

現在は、彦根駅と南彦根駅方面を結ぶ市道彦根駅平田線が貫通していますが、義父によれば本町から彦根工業学校(現在の彦根翔陽高校の場所・近江鉄道「彦根口」駅横)に通学(昭和15年頃)していた頃は田んぼの中を通っていたそうです。昭和30年代に入り、市道ができ(それ以前かも知れません)、その周囲を彦根市が買収をして、一説によれば雨壺山周辺を官庁街にする案もあったようで、雨壺山の反対側に現在もある保健所(和田町)のほか、千鳥ヶ丘には労働基準監督署や法務局もありました。そういえば、和田町にも彦根市が分譲した宅地がありますから、当初の官庁街構想もあながち眉唾ではなかったのでしょう。

そして、当時最盛期を迎えていた住友セメント彦根工場の社宅(3階建2棟・24戸)をはじめとして県営住宅(3階建2棟・24戸)や長屋形式の市営住宅も建てられ、町の様相を呈してきた昭和33年に自治会が設立されたようです。その後、住友セメントが撤退して1戸建の住宅に売却され、市営住宅は鉄筋コンクリートの3棟(32戸)に建て替えられ、更に関西電力の社宅(4階建2棟・16戸)が建てられて今日に至っています。この関西電力の社宅用地が宅地化されたことで、町内の田畑はすべてなくなり、現在の約140世帯(なにしろ県営住宅・市営住宅・関西電力社宅での出入りがありますから、「約」とさせていただきます)が今後居住戸数で減ることはあっても増えることはありません。

さて、平成22年3月の自治会総会で、会長から「組織改革検討委員会」を設置する方針が発表され、早速4月7日に第1回の委員会が開催され、5月を除き、6月からは毎月1回開催され、今回の「組織改革検討委員会報告 第2号」で中間報告として班編成の案が発表され、その案についての意見の募集を始められました。

現在、自治会には16の班があり、それぞれから班長が選出されています。140世帯で16ですから、1つの班の平均世帯数は8.75世帯となります。最多は12、最少は6というこぢんまりした班体制です。班長の職務は町費の集金・広報の配布・回覧板の配布などで、各班ともに順番で班長を出しています。

その他に3つくらいの班の中から2つの班(班長の兼務もありますが)から会長・副会長・会計・衛生委員・文化委員・体育委員などの役員を出してもらっています。総数21名(兼務もあるため)程度で自治会運営がされているのですが、何しろ昭和30年代に入居した方が昭和35年に30歳であれば現在は80歳となっているわけですから、高齢化は避けられず、しかもその子供は都会や市内の他の団地などに引っ越して高齢者だけの世帯も多く、70歳以上の高齢者(制度によって65歳であったり75歳であったりと異なりますが、学区敬老会への招待者の70歳以上を基準とすれば)が100人もおられます。

ある班(10世帯)では、独居高齢者世帯が3、高齢者夫婦世帯が4、独居高齢者で病院入院中の世帯が1で、残る2世帯だけが70歳未満の方のおられる世帯となっています。

今回の組織改革の議論の中でも、高齢者を役員候補から除外してはどうかとの意見もありました。しかし、この班で考えた場合には2世帯だけで毎年交代のように班長なり役員をしてもらうこととなり、決して現実的ではないことは明らかです。他の班でも同じような状態であることに変わりはありません。しかも、これを実現するためには、昔からの町内なら誰が幾つでどこへ勤めているかや健康状態はどうかは手に取るように分かるでしょうが、全世帯の完璧な住民リストと健康状態や勤務体系などが一覧できなければ不満が出るのは当然です。私個人としては、「自治会」なのですから、住民自治の原則に立ち返り、市役所の下請組織ではなく、基礎自治体を構成する独立した自治権能を持った組織になるべきですから、これらの情報が完璧に揃ってこそできるものだと思います。

そこで、組織改革検討委員会が出した中間報告では、現在の16班体制を6班とすることが提案されました。つまり、班の数を3分の1にして、役員・班長になる機会を減少(あるいは各班の実情にあわせて高齢者や身体的に役員就任が無理な方々の免除も可能)させようというのが、この案の基本のようです。

平成16年にも同じように班編成の変更を柱とした会則改正が行われようとしましたが、住民投票の結果、1票差で執行部提案が否決された経緯があります。6年前ですから、現在80歳の方も当時は74歳。「まだまだ元気でいるから」という方もあったようで、微妙な票差ではありましたが、逆に1票差での可決よりはよかったと、今になれば思います。

しかも、夫の同級生は小学校当時は8人、義妹の学年は10人もいたのですが、現在町内に残っているのは2人と1人です。本来、自治会を担うべき世代がこの有様では、運営もスムーズに行く筈がありません。まして、高齢者がこれだけ存在すれば尚更です。

いろいろな意見も出てくるでしょうが、それに対する対策を考えればよいことであって、誰も現在のままで自治会が続くとは考えてないでしょうし、そうでなければ、住民自治はありえません。

50有余年の歴史を、役員のなり手がないからと休眠状態にしてしまっては、人間同士の「絆」が途切れてしまうことになると思います。

組織改革検討委員会では、今回の改革でも10年もつかどうかも不明だとの意見もあるようですが、先を見据えてよい結果が出ることを願っています。






超高齢者戸籍問題

新聞やテレビで話題になっている高齢者の戸籍問題について、普段から相続手続などで戸籍に触れている夫から聞いた話をもとに、感じたことを少し。

今回の問題は戸籍と住民基本台帳という二つの制度がある現状をバックに起こった問題で、そのことを同じように論じてはいけないところにあります。

もちろん、所管が戸籍は法務省、住民基本台帳は総務省と異なるところではありますが、このことは日本人が様々な制度を忠実に遵守するということを前提に法体系ができているというところに本質があります。

人が生まれれば、2週間以内に出生届が提出されます。出生届が提出されることは「当たり前」であるという、法律遵守が前提としてあります。中には、(制度上)婚姻期間中であるけれども、夫以外との子であるからとして出生届を提出しない(婚姻中に出生した子は「夫との子であると推定する」とする規定があるから、つまり「父親欄に現実には離婚状態にある夫の名前が記載されるのが耐えられない」として届出をしない)母親があるのは事実ですが、これはごく少数です。しかし、これでは母親の「気持ちだけが優先」してはいるものの、子の将来を充分に考えた上での行動であるかと言えば、その点では疑問符がつきます。離婚という制度があるわけですから、そのことを処理した上で、子の将来を考えて行動するべきだと思います。 

民法 第七百七十二条  妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
 婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。
 
さて、今回の問題の原点は、先にも書きましたように、日本人の法律遵守という資質にあるということですが、例えば、彦根市では昭和初期に琵琶湖岸で発生した水位の上昇で農業に壊滅的な被害をもたらした明治初期を初めとして、幾度もあった水害によって、新天地を求めてアメリカ大陸に移民した人たちが多くいます。そして、彼らは彼の地で市民権を得、アメリカ人やカナダ人としてその生涯を終えた方たちも多くいます。その亡くなった方たちは、自分が日本人であったことを知ってはいたでしょうが、死亡という事実は、本人の意識とは別で、その子が「日本人として」死亡届を領事館に出すか否かによって戸籍の死亡処理(除籍手続)が行われることになるわけですから、子に父親が日本国籍を有していたということの認識がなければ、領事館に手続をとらないことは容易に想像できます。なにしろ、死亡した人の意識は手続き上反映されないわけですから。法律制度の中では生きている人(相続人など)が手続をしなければならない(死んだ人本人は既に死んでいるのですから、手続をしたくともできない)わけですから、100歳、150歳という「戸籍上の生存者」が存在することになったわけです。

このように書いていましたら、今朝の朝日新聞滋賀版に、県内の100歳以上の戸籍上の生存者数が出ていましたが、彦根市が751人とあって、ダントツで多いのですが、この多い理由は上記の理由によるものだと思われます。

多くの自治体で戸籍や住民基本台帳がコンピュータ化され、紙の戸籍・住民基本台帳時代とは違って、これらの方を容易に把握することができるようになったことも超高齢者の把握が可能になったことも一因です。

一方で、戸籍事務も住民基本台帳事務も、性善説にたった法体系です。人を信じなければ(何ごとも疑ってかからなければならないとするならば)、「あなたの本人であることを証明する書類を提出してもらって...」に始まって、物事が前に進まなくなります。

そもそも、本人を証明する書類って何でしょう。例えば、現在の私は「辻真理子」ですが、これは意思能力のある時代に婚姻届を提出したから、「和田真理子」から「辻真理子」になったわけで、そのことの認識は確認できます。では、生まれたときに、「和田真理子」であったことを自分で認識していたでしょうか。もちろん、生まれて直ぐに(生物学的な意味で)自分が自分であることは認識していません。周囲からあなたは「和田真理子」だよ、と言われ続けて自分が「和田真理子」であると認識するのですから、そこには戸籍という公的な証拠との繋がりは全くありません。先日テレビで紹介していましたが、動物に生まれて直ぐにマイクロチップを埋めて、個体識別をするという話がありましたが、そうでもしないと「私が私である」ことを肉体と関連させて証明することはできません。

でも、私たちにはマイクロチップは埋められていません。

一方、住民基本台帳制度では、住所を移転すれば、14日以内に届け出ることとなっています。しかし、なんらかの事情で届出をしない人もいます。そして、住所地から本籍地に住所移転の事実が通知されて、戸籍附票という戸籍と住民基本台帳を関連づけする公的書類にも住所の移転が記録されることになって、住所移転の経過を知ることができる、素晴らしい制度が確立されているのです。

ところが、紙の時代の名残ではありますが、住民基本台帳の記録は住民票として書類で交付されるのですが、転出をすると5年間は住民票の除票は交付されるのですが、その後は記録が廃棄されてしまい、住所の変遷を知ることができなくなっています。

しかし、戸籍の附票にはその記録が記載されますから、そちらで住所の変遷を知ることが可能になっているのです。ある意味、バックアップ的な存在なのです。

ところが、近年は転勤を繰り返す人も多いので、住所を移転すると同時に本籍も移転する人が増えています。パスポートの交付申請には戸籍が必要(日本人であるからこそ、日本国のパスポートを取得できるのですから、日本人であることを証明する意味において必要なのです)ですから、本籍を出身地などに置いたままにしておくと不便であるからと転籍する人があります。除籍(他の市区町村に本籍を移転するなり、その戸籍の記録されている全員が死亡などで除かれた戸籍)は従来は除籍になってから80年の保存期間であったものが150年に伸長(平成22年6月1日以降)されましたので、ある意味よかったのですが、戸籍の附票が除かれた場合には住民基本台帳と同じく(というよりも、名称は「戸籍」という名前がついていますが、住民基本台帳法上の書類です)除かれてから5年間しか保存されませんので、本籍を転々としている人については住所の変遷を知ることができなくなってしまうこととなります。これは、昭和前半までの思想として、「本籍地を移す人はまずいないだろう」と法律制定者が考えたのと、「紙」という物理的にスペースを必要とするものに記録をすることからそうされたのでしょうが、世の中は「住所」で成り立っていますから、考え方(法改正)を改めてほしいものです。

世界に誇るべきこの制度を生かすも殺すも、すべては日本人の「性善説に則った」行動に依らなければならないのです。

人の行動のすべてが「性善説」によるものであれば、世の中から「悪」と言われるものはすべてなくなるでしょう。「性善」「性悪」とは次元が違いますが、今一度、自分自身のことを考えられてはいかがでしょう。




市立病院の水撒き

午前中に前日の地蔵盆の後片付けを終え、午後1時からは来春開学予定の聖泉大学看護学部の説明会に参加して参りました。

会場はほぼ満員で、彦根地域に看護師を供給していだたける可能性のある学部の新設に期待を込めて参加いたしました。大学は彦根市内にあるとはいうものの、湖北も含めた多くの医療機関及びその自治体の期待も大きく、それぞれに奨学金制度を立ち上げていて、その説明も行われ、就職氷河期の今にあって、保護者の方々の期待も大きいように感じました。


聖泉大学看護学部


夕方からは彦根市立病院の水撒きに参りました。

先日、病院近くの人たちをはじめとして、水撒きや下草刈りに協力いただけるボランティアスタッフが増えたことから、とはいうものの、休みの日には病院スタッフで手が回らないだろうと思い、出掛けました。


水撒き


広い敷地の仲に点在するフラワーポットに一つずつ水をやるのは結構たいへんなことでした。進入路に始まり駐車場の端まで、一つひとつに水をやるお手伝いをしました。土曜・日曜の病院職員のおられない時に水撒きをしてくださる市民を募っております。お花を大切にしてくださる方、どうぞよろしくお願いいたします。


枯れ花摘み1


また、枯れた花を残しておくと、栄養分が種子を成長させようとするということで、摘んでいく作業も根気のいる作業でした。

夕闇の迫る中、病院を後にしました。フラワーポットのお花が。美味しい水を含んでいい気持ちになつたでしょうか。

病院に来られる患者さんやお見舞いの人たちが、些かでも気分よくなっていただけますように。


平成22年度地蔵盆

いよいよ、夏も終盤に差しかかり、子どもたちの夏休みも残り少なくなりました。

朝は幾分過ごしやすくなった気がしないでもありません。

前日の準備に続いて、自治会の皆さんのご協力で、午前10時のお参りに間に合うように準備が整いました。


読経



実は、千鳥ヶ丘自治会はしばしば書いておりますように、新しくはありませんが、ある意味新興住宅地であったわけで、地域全体の願い寺というものはありません。ただし、それよりも前から江東寺という臨済宗のお寺がありました。従って、お寺に関係する行事には、江東寺さんの協力をお願いすることにならざるを得ません。

お参りが終わり、少ないとはいえ、子どもたちの声が会館に響きわたります。関西電力社宅には未就学児がたくさんにおられて、賑やかさは普段以上です。前日準備においても、行灯に絵を描く子どもたちが少なくて、2人だけで一生懸命に描いていましたが、寂しいことに変わりありません。

お昼までに、宝探しが終わり、昼食をみんなで食べました。昨年は子どもたちが協力してカレー作りをしましたが、今年はそれも中止です。関西電力の子どもたちがいつまでもここで育ってくれれば、また復活もできるでしょうが、多くの方々は子どもたちが小学生になる頃には出て行かれます。それと、その頃には昨年元気で頑張って協力いただいた老人会中心の助っ人のみなさんも高齢化で協力いただけないかも、などと年々歳々増えていく年齢に勝つこともできません。

午後からは「安心の救急カード」のメンテナンス事業を行い、午後3時過ぎから屋台村の準備です。炭をおこして、昨年自治会が買ったバーベキューセット2台がフル回転です。昨年の役員とは代わっていますが、それぞれの役員が腕によりをかけて頑張っていただきました。

午後5時から屋台チケットの販売が始まり、売切れ御免で開店です。


焼そば


焼き餃子


会食


真理子昼食



午後7時30分になれば、会館ホールで「妖怪講座」が開講です。北風寫真舘社長で妖怪研究家の杉原正樹さんが、連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」にちなんで、湖東地方の妖怪や、そもそもなぜ妖怪なのかという話を静かな語り口で話していただきました。


杉原正樹



真理子妖怪講座



妖怪講座


最後に一瞬会場が暗転するというハプニングもありましたが、ようやく長い一日を終えるという心地よい疲れを感じながら、家路につきました。

 

中学校給食実施のための特別委員会

委員会の名称は大切なことだと思います。

かつて夫から聞いた話ですが、所属していた青年会議所では、毎年、理事長の方針に従って委員会が設置され、その名称が検討されるということでした。

「名は体を表す」と言いますが、人々に過度の期待を持たせるような名前はどのような組織でも慎まなければならないと思います。

「中学校給食実施のための特別委員会」というからには、「実施」が前提の筈です。「実施をするのかどうか」を検討するのであれば、「中学校給食問題に関する特別委員会」や「中学校給食検討特別委員会」とするべきで、「実施のための」となれば、「実施」が前提だと思います。

さて、どのように委員会が進むのかと思っておりましたが、冒頭で市長から実施の方向であるとのことでしたが、財政状況を見ながら進めていきたいとのことでした。その中で、定住自立圏構想の関係で1市(犬上郡)3町と十分に協議をし、その区域で進めることも考えにあるようでした。

詳しくは、後日市議会HPに議事録が公開されると思いますので、そちらをご覧になって下さい。


地蔵盆の準備

いよいよ、夏休みの最後の行事といってよい「地蔵盆」が明日に迫りました。

ご多分に漏れず、千鳥ヶ丘自治会も高齢化の波が確実に押し寄せています。昭和35年頃に当町が開かれてから、既に50年が経過するのですから、その頃に入町された方々は既に75歳から85歳くらいになっておられ、しかも子どもたちはみんな転出してしまって、残っているのは開町当時に入られた方が多いのです。

幸いなことに、市営住宅・県営住宅・関西電力社宅がありますから、若い人たちも一部におられるので、全くの老人地域であるわけではありませんが、住民の3分の1近くが高齢者だけの世帯になっております。このようなことから、現在、自治会では組織改革検討委員会が設置されて、班編成のあり方や、役員の定数などについて月1回のペースで検討を進められています。9月中には一定の結論が出されて、来年の役員選考に支障のない時期に会則改正の提案がされる模様です。

今日は、午前中に市議会「中学校給食実施のための特別委員会」が開催されて、それを終わって、午後から地蔵盆の準備のお手伝いをさせていただきました。

昨年の地蔵盆や文化祭で好評だった「屋台」が出現します。昨年の地蔵盆では、焼き鳥、フランクフルト、枝豆、焼き餃子のチョイスをしていただきましたが、余りに煩雑であったので、その反省から、文化祭では料理は焼きそば・フランクフルト・焼き餃子のセットに限定してそれなりに問題がなかったため、今年もその方式で実施されます。

ということで、千鳥ヶ丘会館前のテント張りを手伝ったり、焼そば用のキャベツを小分けにしたりいたしました。

明日の千鳥ヶ丘会館周辺が賑わいを見せるのを楽しみに、心地よい疲れを感じつつ、明日を俟ちたいと思います。 

中学校給食

いよいよ、9月に入れば、9月定例会が開催されます。

その前の今月20日に「中学校給食のための特別委員会」が開催されます。

連日、定例会の代表質問の原稿づくりに励んでおりますが、課題山積の中、持ち時間である1時間で収まるかが心配です。

現在、彦根市では小学校17校での給食のほかに、稲枝中学校で給食を実施しています。稲枝中学校は、昭和43年4月1日の彦根市と愛知郡稲枝町の合併の際に、稲枝町では中学校給食を実施していたため、その後も(中学校給食を実施していなかった彦根市にあわせて中止するのではなく)引き続き実施されて、現在に至っています。

昨年の市長選挙において、市長は公約の一つとして中学校給食の検討を掲げられました。それに先立つ平成20年3月の議会(現市長の前の任期中)において、理事者側が提案したPFI方式による給食センターの設置に向けた予算案について、議員側が修正案を提出し、結果として修正案が可決されたため、その後、給食問題については沙汰無しの状態が続いていました。

今回の委員会については、委員長が交代しての初めての委員会であり、現状の給食(小学校給食が中心ですが)の経費や人数などを把握しておかなければ、議論に参加することができないと考えています。

委員会の議論は、「センター方式」なのか「自校式(現在の18校はすべて自校式です)」なのかを決める前の段階にあります。平成20年3月のPFI方式は、当然にセンター方式を採用する前提で提案されたものでしたが、今回はその入口からの議論のようです。具体的な数字を理解しておかなければ、どちらを採用するほうがよいのかを判断すらできないのですから。担当の職員はそのことについて資料を集め、検討を加えた上で委員会に臨むでしょうが、その回答だけを鵜呑みにしてしまってよいかどうかを判断するのが議員の役目だと考えるからです。

その収集した情報の中で、平成20年3月の(事実上の)PFI否決は、当時話題になっていました近江八幡市の病院のPFI契約の解除事件があったことは事実ですが、病院と給食とは根本的に事情が違うことの説明がありました。つまり、病院事業は医業収益という計算できない要素があり、医師や看護師が減少すれば、直ちに医業収益が縮小するが、給食事業は児童・生徒からの給食費は安定(全国各地で給食費未払い問題が言われます(彦根市での収納率は99%以上)が、それ以外はすべて公費負担であるため、変動要素のないものだということでした。正確な積算ができないという難点はあります(水道光熱費は区分計算できない実情であるため、正確な製造原価を計算できません)が、99%以上の収納率の給食費収入と人件費(民間委託における委託費を含む)・燃料費がほぼ半々であるわけで、収納率が極端に低下しない限り、計算のしやすい問題であるとも言えます。

しかし一方、センター方式にした場合の建設費(土地代が必要となることもあり得ます)や配送経費、そのことに付随する校舎の改造など、様々な要素が絡み合うわけで、自校式と比較することも困難であることを認識する結果となりました。

いずれにしても、あらゆる角度から事前に検討した上で会議に臨むべきことは当然ですが、明日の委員会で各委員の議論を確認していきたいと思います。

 


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