年末恒例行事
国会内での新党結成が喧しい。
政党交付金(または政党助成金)のために結成するのでしょうが、魂胆が見えすぎていることから、「情けない」の一言です。無所属の議員には「政党交付金」という名前からも明らかなように交付されません。
今回新党を結成したのは、現在仮釈放中の鈴木宗男氏を代表とする「新党大地・真民主党」です。消費税増税とTPPへの反対というのが大きな理由のようですが、本音は政党交付金なのではないでしょうか。
政党交付金についていえば、新進党の解党時に不明朗な支出があったということで当時の小沢一郎代表について新聞で取り沙汰されたように、本来は政治活動に使われるために交付(助成)されているはずのものですが、その資金を私しているとの指摘もあります。
高邁な理想と現実的な政策を掲げての新党結成であれば理由のあることですが、政権政党に反対をするという理由だけでは全く政治家としての視点から外れていると思います。来年3月には1,000兆円を超えるのは間違いないと言われていますが、色々な操作をししているのか、財務省の資料の国債残高もどれだけ現実を示しているのか分からないところがあります。一地方議員が調べられる範囲としては「その程度」としか言えないところです。
これだれの国債残高があり、特に社会保障費の伸びが著しい中、消費税を増税しないでこの国を維持していくという政策が見えてきません。単に「反対のため」の政党立ち上げとしか思えません。それで国会議員として、国の将来を考えているのかと思わずにはおれません。
これだけの国債残高の増加は、ひとえに「国民のため」というお題目を掲げて、ばらまきを続けてきたこの60年の政治にあるのではないでしょうか。高度経済成長を前提として常に前年度比増の予算を作り続け、そのために国債残高を増やしてきた結果だというのは、誰の目にも明らかです。そして、東日本大震災という未曾有の災害が発生し、そのために新たに交付国債という名前の国債を発行する予算が組み上げられつつあります。そのような危急時の国債は仕方のないところですが、そうであるとするならば、しばしば言われる「プライマリーバランス」という言葉だけで単年度予算の組み上げをしていてもよいのかというように思えます。
一方、森喜朗元総理は、自民党に対して苦言を呈したと報道されました。民主党が提案しようとしている消費税増税案に反対する姿勢の自民党執行部に対して、この法案に反対し、次の総選挙で政権復帰ができたときに、どのように対処するのかということです。まさに至言です。何かと批判の対象とされてきた同氏としては、先見性のある発言だと思います。
常に自らが政権政党になったときのことを念頭に、発言・行動すべきという点で評価しなければならないのではないでしょうか。
「反対のための反対」は議員として、ある意味恥ずべき行動だと思います。対案なり修正論議ができうる政党でなければならないと常に思います。このことは地方議会でも同じことだと痛感いたします。
政治は、「今の国民の生活」のためにあるのは当然ですが、将来にわたって負担をするという公債の現実からすれば、「将来の国民の生活」についても留意をしなければならないのは当然です。
私は、生活保護費の地方負担が、どこかの段階で増加することもあり得るのではないかと危惧しています。地方議員は自分たちの自治体の財政にだけ責任を負うのではないと思います。国家財政が破綻をすれば、結局は国民を形成する地方の住民にもそのしわ寄せが来るのは当然です。何でも公費を使うことの要求ばかりでは、地方であれ国であれ、いずれかの財政が破綻することがあり得るわけです。
今、年末恒例の新党立ち上げが言われていますが、是非とも建設的な政党であることを願わずにはおれません。