7月29日夜。この秋、9月20日に封切られる映画「柘榴坂の仇討」の試写会に行ってきました。
この映画は、桜田門外の変の折、井伊直弼公(中村吉右衛門)の側で警護をしていた志村金吾(中井貴一)と、公を討った側の佐藤十兵衛(阿部寛)の明治維新を挟んだ壮大な歴史ドラマです。
彦根を映画で盛り上げる会の方々が、歴史のロマンを追い求めて準備をされました。
桜田門外の変は万延元年(1860)3月3日に江戸城に登城しようとした井伊直弼公の一行に水戸藩の脱藩浪士などが雪の降りしきる中、襲ったという事件ですが、その際に井伊直弼公の駕籠についていた志村が、水戸藩の浪士などを仇討ちせよという命を受けて探し続ける中、明治6年(1873)に明治政府の仇討禁止令が公布されたその日(2月7日)に仇敵・佐藤をようやく見つけたという設定でドラマが進むというものです。
佐藤は直吉と名を変え、車夫として暮らしていたのです。歴史の流れの中で、井伊直弼公の開国の決断が正しかったと理解した佐藤は、井伊直弼公の「直」を拝借して名付けたものです。
時代が大きく変化に翻弄される小さな1人の生き様が描かれた秀作です。
来年(2015年)のNHK大河ドラマの主人公は長州萩藩の吉田松陰先生の妹が主人公であるとして、こちらでは井伊直弼公は敵役として描かれますが、井伊直弼公はヒールとして描かれたり、主人公として描かれたりと、どちらの立場でも時代を映す立場で登場します。
この映画でも彦根城がロケ地として登場するなど、彦根は江戸時代の姿を今に伝える素晴らしい町です。
今、社会は大きく動いています。しかし、その中にあって普遍的な価値観というものを、私たちは捉えていかなければならないと教えてくれているのです。
是非とも9月20日の封切には、多くの人たちが歴史認識の中で彦根が輩出した井伊直弼公を見直していただきたいものだと思います。
- 2014.07.30 Wednesday
- 雑感
- 08:14
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- by mariko
7月16日の朝日新聞朝刊の投書欄に29歳の方のものが掲載されていました。
安倍首相の「国民のため」に拘っておられます。投書された方には中国人の友人もたくさんおられて、仕事の上でもつきあいがあるとの上で、中国政府はともかくとして、一般の中国人には日本を攻めてくるということを考えてはいない、とされています。
一国の首相ですから、「国民のため」という枕詞が出てくることは理解します。しかし、世界平和のために「集団的自衛権が必要」という論調であれば理解できなくもないのですが、どうやらそうではありません。戦後の冷戦時代にも常に仮想敵国が設定されてきました。
いまだにその考え方から脱却できずに仮想敵国ありきの発想です。日本と中国との経済関係(多くの日本企業が中国を脱出しようとしてはいますが)の深さ、北朝鮮拉致問題の解決のための経済制裁の一部解除など、言われるところの仮想敵国との関係強化との整合性が全く取れていないのではないでしょうか。
外交とは複雑怪奇で、一地方議員がどうこうと言えるものではないにせよ、この不整合性を得心がいくように説明しなければ、ますます内閣支持率は下落するのではないでしょうか。
それと、このように議論が二分するようなことになるとすると、集団的自衛権行使容認に賛成をする考え方の人たちは益々先鋭化するのではないかと危惧します。
日本人は賢明ですから、ウクライナのような過激な行動に出る両当事者はいないでしょうが、もっと丁寧な説明が求められているということを政府は理解しなければならないのではないでしょうか。
- 2014.07.16 Wednesday
- 雑感
- 07:46
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- by mariko
7月16日の中日新聞「文化」欄の「時のおもい」にJT生命誌研究館館長の中村桂子さんが寄せられたものです。
さいたま市大宮区の公民館だよりには毎回「俳句欄」があって、その句会の互選で選ばれた次の句が掲載されなかったというのです。
「梅雨空に『9条守れ』の女性デモ」
句自体は梅雨の時期に「9条を守れ」という女性たちがデモをしたという情景を映したものです。投稿者が「9条を守れ」と言っているのではありません。デモに参加した女性たちが「9条を守れ」と言っているのです。
公民館長は「世間が大きく分かれる問題で、一方の意見だけ載せられない」と説明し、公民館を管轄する立場の人(筆者注/教育委員会でしょうか?)は「この句が市の考えだと誤解を招いてはいけない。公民館の判断は妥当だ」と言っている、と書かれています。
そして、「市の考え方」とは何なのかという疑問を呈しておられます。「市」となったら、それは市民全員の集まりであり、それこそ皆で議論をしなければ市の考えなど出てくるはずはない、と結んでおられます。
市長なり、教育長に気を使ったというのであれば、それこそが世論誘導であり、国民の表現の自由を奪う暴挙であるといえるでしょう。一度、さいたま市大宮区に住んでいる私の友人に聞いてみたいものです。どれほどの自由が大宮区にあるのか、と。
批判に晒されてもそれに耐えられるだけの理論構成がなければならないことなのに、それを回避して無難な世界ですり抜けようとしている様は、滑稽を通り越して哀れさをも感じてしまいます。
まさに今の国会審議のミニチュア版です。まともな議論をせずに、念仏の如く同じ話をしていることを答弁だと考えている首相の姿勢とそれを是としている閣僚や官僚の姿ではないでしょうか。
これでは、日本が自由な国であるということを放棄していると映っても仕方がありません。
- 2014.07.16 Wednesday
- 雑感
- 07:46
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- by mariko
7月15日の中日新聞の1面トップの見出しは「経済打撃で武力行使容認」です。
かすかに習った「大東亜共栄圏」を思い出しました。日本という狭い国土では国の発展はない。だから、東南アジアまでをも大きな経済圏として日本がその旗振りをしようとしたのが「大東亜共栄圏」ではなかったでしょうか。
今でこそ、ASEANだのなんだのと経済圏を作っていますが、その最初の動きが「大東亜共栄圏」だったと思います。
たとえば、アラビア海での機雷封鎖が例に取り上げられてばかりいますが、確かに、そこまでを一つの経済圏として制圧できれば、機雷を敷設されることはないのかも知れません。しかし、現代は150以上の国があり、そのそれぞれが独自の経済的発展を求めているのです。80年前とは事情が違います。
しかし、「大東亜共栄圏」に走った日本の歴史を、そしてその後の第二次世界大戦の敗戦までの歩みを忘れてしまったのでしょうか。それぞれの国を尊重しつつ平和裡に経済発展をしようというのが、戦後70年の日本の歩みだったのではないでしょうか。
歴史こそ唯一の手本であり、そこから学ぶべきことは多いはずです。経済一辺倒の安倍政権の歴史認識の危うさは目を覆うばかりです。ある意味、首相の一人芝居ではないでしょうか。その暴走を止められない政府や閣僚の人たちはイエスマンだけで固めた、まさにお友達内閣・お友達政治としか私には映りません。
第二次世界大戦後、犠牲になり、亡くなられた人々が300万人と言われていますが、ほんの一握りの政治家の判断で戦争に突き進んだために、どれほどの若い人々が戦争で地獄の苦しみを受け、無念のまま人生を終えたことでしょう。そして、その家族の嘆きもまた、空爆で亡くなった人々、沖縄戦で亡くなった人々。こういった多くの日本人の犠牲と嘆きの声を決して忘れてはなりません。
集団的自衛権に対して国民の納得がいかないという声を無視するのであれば、今の政府の危うさは、まさに「大東亜共栄圏」と叫んで戦争に突き進んだ時代と同じように感じられてなりません。
- 2014.07.16 Wednesday
- 雑感
- 07:45
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- by mariko
平均的な所得の半分を下回る世帯で暮らす18歳未満の子どもの割合を示す「子どもの貧困率」が2012年時点で16.3%と過去最高を更新したと報じられました。
アベノミクスという言葉に踊らされていますが、現実はこのような結果となっています。決して国民は幸せではないということです。
先日には年金の納付率が向上したという報道がされました。しかし、その数字には分母となる納付しなければならない人数を減少させて計算されたというようにも言われています。つまり、本来年金保険料を納付すべき人の中から継続して納付していない人を免除したことにして算出してあるというものです。
この「子どもの貧困率」も同じようなことを来年されるのかも知れません。
前にも書きましたが、携帯電話税だのパチンコ税などという新しい税金を創出して、法人税の実効税率を下げようとしていることが果たして正しいことであるのかどうかは甚だ疑問です。
どうやら、現在の政権はしぼれるところからどんどん税金を取って、政権に近い財界だけを儲けさせようとしているのではないのでしょうか。
私は、国民に目覚めてもらいたいと常に思っています。
そのためには「政治を諦めず」に国民・市民の小さな声を訴え続ける議員として、一生懸命に頑張っています。
- 2014.07.16 Wednesday
- 健康・医療・福祉
- 07:44
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- by mariko
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