病院ふれあい祭

5月30日。市立病院は大勢の健康な人たちで溢れていました。

以前、私が県内の他市の病院に経営形態の視察に行きました時、担当職員が彦根市立病院のふれあいまつりに家族連れで参加されたときの印象を次のように語っておられました。「まず、敷地の広さ、自然の中にあり、その環境のよさに感動しました。また、病院の職員が一丸となり市民との交流に賢明になっておられる姿を見て、心温まる思いがしました。」


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市民の皆さま。彦根市立病院は市民の大切な病院です。心をあわせて守っていきましょう。いつか家族がお世話になるときのために。

オープニングは例年どおり、yosakoi-soranです。

今朝は、例年より参加者が少ないように見えましたが、後で友人から次の写メが届いたので、もしかすれば、プレミアム商品券を買いに行ってた人が多かったのかも知れません。


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彦根駅前のアルプラザをぐるーっと回り込んで、多くの人たちが並んでいる画像です。

さて、ふれあいまつりは、盛りだくさんの企画があり、「何をしているのか」と見て回るだけでも、面白いものです。


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彦根市民健康サポーターズ倶楽部の活動の紹介です。


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ちびっこのためのナース体験です。


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以前にも紹介しました海水魚の水槽です。


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健康講座でいつもお世話になっている「Re:」のお二人でのコンサートです。


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中庭の模擬店には人が集まっていました。


私は、健康講座を覗いてみました。


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このふれあいまつりを最初に立ち上げた綿貫先生のお話です。企画が盛りだくさんすぎて、お手伝いもいなかったので、大変だったように思いました。

午後から、ヒツジの毛刈りもありましたが、佐和山城見学のため、断念しました。

健康でいられることの幸せを噛みしめて、病院を後にしました。







 

佐和山城跡説明会

2011年度から続けられている佐和山城跡の説明会に参加いたしました。先週の彦根城外堀土塁の現地説明会に続いてのものです。今回の参加者は約150名でした。


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彦根城は関ヶ原の合戦後に井伊直孝が徳川家康から佐和山城を拝領したものの、目と鼻の先の彦根山に築城することにしたもので、本来は佐和山城に入城したのです。


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一説には石田三成の治世が領民にとってよかったから、その影響をなくすために佐和山城を石垣まですべて破却したといわれています。いずれにしても、佐和山の地は中山道と北陸道の分岐点に位置し、南には近江平野が京に続く重要な拠点であることは否定できません。


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一つの町に二つの城が相前後して存在していたことは、現在の彦根城の存在にとって歴史的な意味をもつものです。

彦根城は国宝5城(先日、松江城が国宝になりました)の一つですが、この彦根城を世界遺産に登録するため、暫定リストに登載(1992年)されて23年が経過しました。既に姫路城が世界遺産に登録されていますが、姫路の町は戦災に遭い、町の遺構は殆ど残っていません。しかし、彦根は幸いにして戦災には殆ど遭わず、古い町並みも残っています。更に、佐和山城というもう一つの城との関係で、彦根城下町だけではなく、もっと広いゾーンの中での意味づけをしていく必要があると、私は考えています。


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その点を市民にも再認識していただく上でも、今回の説明会の意味は大きいと思います。そして、新聞各紙も事前告知していただいていました。


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病院ふれあい祭を午前中で切り上げて、現地に向かいました。

 

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教育委員会の方から、詳しい説明をしていただきました。約1時間半があっという間に過ぎました。

地元鳥居本のお宝発見隊の方や高校の同級生も来ておられました。

暑い中でしたが、彦根の新しい歴史的遺産としてしっかりと残しておきたいものです。


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IGT特別交流会

金亀会総会の後、同年の仲間と、会場を移動して交流会を開催しました。


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講師をしていただいた岡村君は本体の懇親会から移動してこられ、改めての乾杯。


総勢26名での開催です。


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40数年前に戻って、講演の話や、彦根東高校の女子の制服について議論したりと、相変わらずの同級生でした。

東京から出席してくれた方からは、「東京では、あの制服を着たいから、あの高校に行きたいという生徒がいる」という発言もあり、40数年経っても母校愛は色あせてはいませんでした。


2時間半の交流の最後は校歌・応援歌の他にも琵琶湖周航の歌を歌ってお開きとなりました。


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長い一日を終えて、深更にいたり帰宅いたしました。


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来年秋に同窓会でまた会えることを約束して、友との別れになりました。


金亀会総会

例年5月最終近くの日曜には彦根東高校のOB会・金亀会の総会です。ご近所のKさんと正面玄関で撮影して、総会の準備に入りました。


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資料の袋詰めをした後、総会があり、その後は記念講演です。今回の記念講演は同窓生の岡村美孝さん(元サントリー専務、現サントリーホールディングス特別顧問、雲雀丘学園常務理事、同学園中高校校長)の講演「やってみなはれが世界にはばたく」と題して、サントリーの浮沈の歴史について1時間半、お話しいただきました。


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残念ながら、講師の写真はぼけていましたので、別稿の紳をご覧下さい。



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講演の後、帰依院ビールの立地する多賀町の先輩から質問もあり、1時間半はあっという間でした。

 1.絶頂期が危険な時
 2.地獄を見ないと立ち上がれない
 3.強みが弱みに
 4.反対があればあるほど成功する
 5.無理筋が革新の母
 6.優等生だけでは面白くない
 7.「ばかな」「なるほど」

7つのテーマをあげて話していただきましたが、心して残りの人生を生きていきたいと思いました。



投票したい政治家がいないあなたへ

先日、ある方から「投票したい政治家がいないあなたへ」という書物を紹介していただきました。著者は現役の宮崎県議会議員、清山知憲さん。30歳代前半で医師の出身。

冒頭の小見出しから「成りたくない職業No.1は政治家」とありました。医師でいたときには「凄いですね」「頑張って下さい」だった周りの声が、議員に立候補すると表明したとたんに「議員なんてやらないで、医者をやっていたほうがいいのに」「県議会議員なんて、どうせたいしたことはできないんだから、やめときなさい」に変わったそうです。



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私も8年前に、平凡な主婦から市議会議員に立候補することを表明したときも、同じような声を聞きました。

しかし、市立病院での分娩停止の報道を受けた、若いお母さんたちとの寒風吹きすさぶ中での署名活動に参加するうち、署名だけで政治が変わるのだろうか、との疑問が湧いてきました。確かに54,453人の署名は集まりました。そして、市長にそれらの署名は提出されました。

議会で、誰かがこの問題について熱く語らないと、解決方法を模索し、提案をしない限り、改善しないのではないかと考え始めました。そして、その「誰か」は、時間的に余裕がある私であるかもしれないと考えるようになりました。

そして、右も左も分からない中、選挙の僅か3ヶ月前に立候補を決意し、準備に取りかかりました。

幸いにも、素晴らしい人材に恵まれて選挙の準備は整い、何のバックもない一介の主婦が当選することができました。28人の定員に対して29人が立候補し、私が立候補したことで選挙戦に突入しました。取材に訪れた新聞記者に「私、どうでしょう?」と聞いたところ、「ダントツで勝利するか、ダントツで最下位でしょう」と、全く不透明な状況でした。

結果は29人中の18位。記者の予想は外れましたが、議員になることができました。

男性社会といわれる議会に入って、女性の視点というものがないことに驚きました。「お産なんて」というような感じで、歯牙にもかけてもらえない雰囲気でした。

あれから8年。今回の選挙は24人の定員に32人が立候補しましたが、少なくとも私をご支持いただいた1,168人の皆さまと思いを共有し、様々な問題についてしっかりと検証をした上で、これからも議員活動に取り組んでいきたいと考えています。

しかし、一人の議員だけでは政治は変わりません。私の背を押し続けてくださる方々からの声があって、はじめて私自身だけでは分からなかった問題点も見えてくるものです。

このブログで、私の思いや主張を書き続けていきますので、ご愛読をよろしくお願いいたします。






彦根城外堀土塁

5月15日号の広報「ひこね」に、土塁の現地説明会が開催されるとのことで、参加いたしました。


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先日のNHKの番組「ブラタモリ」で、京都の「お土居」を放送しましたが、それと同じように彦根城の外堀にもあったことを知りました。

今回の参加者は約180名。文化財部からも総出で対応されていました。

私どもの事務所がかつて測量した土地がこの一帯で、その時に事務所のスタッフはこの土塁の存在に気づいていたそうです。

さて、先日の「Hikone Historia」の項でも書きましたが、議員として彦根の歴史にせよ、事物にせよ、知っておかなければならないことがたくさんあります。

この類の土塁が400年を経た現代に残っているのは、松本城に少しあるだけで、これだけの規模で残っているのは貴重であるとのことです。

かつてはあったであろう全国各地の城下町の土塁は、近代化の流れの中で破壊され続けてきたのだと思います。彦根の土塁も、一部だけが残されているに過ぎませんが、残っていることが貴重だと思います。

特に、戦後すぐ(昭和24年)に、マラリア撲滅のため、外堀が埋め立てられ、道路になったことで、今回の土塁に続いていたはずの土塁は民地の中にあったため、取り壊されたと考えられます。


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開始3分前に到着したのですが、土塁の上には大勢の人が集まっていました。

2013年2月に催された「外堀巡り」でも、この辺りを歩いていますが、その時の写真が次の2枚です。


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この(↑)写真は、今回の現場の北側に続くものですが、背景の建物が少し高い位置に建てられています。その土台となっている土地も土塁の続きと考えられます(位置関係からも、形状からもそのように考えるのが妥当です)。もちろん、どれだけの分量の土砂が撤去されたか、追加で盛り土をされたかは、今となっては知る由もありませんが、ある意味、残念なことです。返す返すもマラリアがなせる仕業ということができるでしょう。

博物館の学芸員から様々な説明がありました。


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参加された方に「どこで説明会を知りましたか」と聞きましたところ、「広報ひこねを見て」とのこと。特に表紙に掲載されていたから、とのことでした。


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彦根市では、彦根城を世界遺産に登録しようとしていますが、1年に1国から1つしか登録の申請しかできないというネックもあり、既に来年は長崎のキリスト教会群が申請されるとの報道もあり、市民全体の盛り上がりの中、彦根城を理解し、保存し、いかに活用するかが大切だと思います。

彦根市として、この土塁を貴重な城下町の遺構として残す必要があると考えます。そのように考えると、65年前のマラリア撲滅という施策が不要であったなら、もっと広範囲に残ったのではないかと残念でなりません。


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城を守る、領民を守るという当時の都市計画の先進性を考えました。

町がどうあるべきかをしっかりと計画し、市民の合意のもと、町のもつポテンシャルと共に、議会としても世界遺産に取り組む必要があると思います。


 

彦根五山を語れ!

自宅でひととき休息した後、彦根商工会議所の大ホールで開催された「Hikone Historia 彦根五山を語れ! 佐和山城以前の彦根の歴史」に参加しました。


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議員である以上、他市への視察の際に、彦根について聞かれることもあり、しっかりと自分の町についての認識を深めておく必要もあり、できる限りこのような講座には参加するようにしています。

今回の司会は和田一繁議員でした。残念ながら議員は私と2人だけでした。

大ホールに一杯の約200名の参加者の多くはいわゆる団塊の世代のように感じました。しっかりと町を見つめようとする雰囲気でした。

元教育委員会文化財部長の谷口徹さんの引き込まれるような語りは2時間があっという間のようでした。


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                              (開講前の様子)


荒神山・大堀山・雨壺山・佐和山・彦根山。

荒神山は古墳時代、大堀山は万葉集に出てくる「鳥籠(とこ)山」に比定され、雨壺山は戦国時代の陣屋か櫓があったと想定され、佐和山は石田三成の、彦根山は関ヶ原の合戦以後にそれぞれ出てくる、時代に従い説明していただきました。

長い1日が終わり、これからの4年間への意欲が再び湧いてきた5月20日でした。






 

平成27年5月臨時会

5月20日。先日の選挙で当選した議員による臨時会が開催されました。

最年長の夏川議員が仮議長となって、議長・副議長の選挙が行われました。

その後、補正予算案についての質疑があり、午後も引き続き断続的に予算特別委員会と関係する常任委員会での審議の後、本会議が再開しました。

会議の終盤に、谷口議員から緊急質問提出の動議があり、多くの議員の賛成によって取り上げられました。内容は、去る5月9日に開催された自治会長会議での市長発言についてでした。

事の発端は、11日の地方紙に掲載された「駅東側は官庁街で整備」との記事でした。彦根駅東口は現在区画整理中で、駅前として商業施設や高層マンションの計画がされていましたが、マンション計画は頓挫し、いまだに空き地が目につきます。

議会でこの問題について議題にのぼったという記憶はありません。私が長年にわたって訴えてきました神宮踏切の改修について、何度も議会で質問しましたが、明確な答弁はありませんでした。ところが、突然といってもよいくらいに、神宮踏切付近の交差点の調査・設計・買収の予算案が上程されて、一歩前進しました。

国庫補助や地元との協議がある程度進展してはじめて議論の俎上にのせるのが普通の手法です。そうでなければ、関係者をはじめとして、昔の地上げではありませんが、権利関係が輻輳することになりかねないため、行政としては潜行した中での事業計画を進める必要があるからです。

この問題については、帰宅後に傍聴された方から「市長が議会での審議も経ずに自治会長会議で発言したことが軽率だった」ということを引き出すのが目的だったのではないかと感じた、とのお声を聞きました。

会議終了後に、全員協議会が開催されて、中学生の暴力問題と幼稚園での牛乳アレルギーによる救急車出動問題についての説明がありました。

牛乳問題は地方紙がスクープした問題で、13日に発生した事故です。ただ、記事(20日)によれば、他の幼稚園・保育園への通知が(週末をはさんでいるものの)18日であったことに問題がありますし、議員に対する報告もされず、記者発表のされていなかった点に、疑問が残ります。

誰しも公表したくないことはあるでしょうが、これは「命」にかかわる事案です。真剣に向き合ってもらいたいものです。

一度自宅に戻り、傍聴(最後までおられました)にこられていた町内の方から感想を聞きました。また、今朝も、都合で傍聴には行けなかったものの、頻繁に傍聴されるご支持いただいている方とも話しましたが、議会改革がより進むように期待するとのお言葉をいただきました。



kokoro
 


病院ふれあいまつり

来る5月30日(土)に、彦根市立病院で「ふれあいまつり」が開催されます。

昨年も大変に好評で、中には他市の病院関係者も見学に来られていました。


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是非とも、多数の皆さんにお越しいただきますよう、ご案内申し上げます。



給食

5月17日の朝日新聞日曜版に「給食」に関する特集がありました。

給食の要不要の議論、世界の学校給食事情など、様々な角度から記事にしてありました。

その中で気になったのは、世界の学校給食事情の中のドイツ・ノルウェイ・デンマーク・スイス・オーストリア・オランダ・ベルギー・ニュージーランドなどで給食が実施されていないことでした。

その理由については記事の中には触れられていませんでした。

さて、本年4月から開始した彦根市の中学校給食ですが、その実施については、様々な議論の末に実施されたものです。


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まずは「弁当」における「母親の愛情」問題。次に「自校方式」と「センター方式」の問題。更に「PFI方式」によるべきかどうかの問題もありました。

「母親の愛情」問題については、現代社会における男女共同参画や女性の社会進出、更にはひとり親家庭の増加に伴う「母親の」という考え方の陳腐化など、この問題はあっさりと解決できるのではないかと思いましたが、存外に難問でした。

次に、「自校方式」と「センター方式」ですが、これは自校方式の場合には万一給食を提供できない場合でもその学校だけで問題が収束できるのですが、センター方式の場合には代替食などの提供に困難をきたす可能性などがあって、難しい判断に迫られました。

しかし、これからの人口減少社会を予測したとき、調理員の供給や設備費の負担などから、結局、センター方式を採用することになりました。私も独自に費用の積算を行い、そこでのランニングコストも含めた計算を行い、検討した結論でした。

「PFI方式」については、平成10年代にもてはやされた公共事業の外部委託事業の方式でしたが、折しも近江八幡市の総合医療センターのPFIが、多額の違約金を支払っても直営に戻すという決断がされた時期とも重なり、平成20年度当初予算案に対する修正案が提案(PFIによる事業実施の予算案を削除する修正案)され、これが可決して、PFI方式にしないという結論に至りました。
http://www.city.hikone.shiga.jp/cmsfiles/contents/0000003/3688/d200800002.pdf

その後も、どこにセンターを設置するのかなど、紆余曲折する中で、ようやく設置場所も決まり、定住自立権という枠組みで犬上郡の2町と共に設置することとなり、中学校給食が開始されたものです。


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もとより、中学校給食の目的は、現代社会における格差の中で、せめて昼食だけでも、体位向上に最も影響のある中学生の時代に栄養価の満足いく食事を提供し、食育をすること、そして波及効果として地産地消を行うことによる「顔の見える」食材提供いあると考えています。

その中でも、「食育」の大切さには大きな比重があると思います。栄養担当の先生方や、直接生徒たちと接する現場の先生方の「食」に対する考え方で、生徒たちの「食」に対する意識が左右されるのではないでしょうか。

是非とも、食の大切さを生徒たちも身につけてもらいたいものです。


 


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