加計学園問題の予算委員会審議は、質問時間の調整に手間取っていて、成り行きは不透明です。
さて、7月19日に官房長官から「京都産業大学の断念」についてのコメントが出ました。
一般企業では事前の準備をして、たとえ許認可に関わる問題があっても、粛々と進めていけば、事業を行うことも可能でしょう。
しかし、この獣医学部開設についても、森友学園の問題にしても、「いつまでに開校」という尻を切って進める手法が共通しています。
ここでは、加計学園問題に絞って検討します。
52年間、認められなかった獣医学部の新設について、「岩盤規制」と言われていますが、まさに、京都産業大学にしてみれば、同大学が認められなければ、用地にしても、校舎にしても、一旦無駄になります。勿論、他の学部に簡単に転用できるものではないはずです。ましてや教授陣については、限られた人材の中で準備するのですから、校舎のように他の学部に、というわけにはいかない筈です。
それを、「教員や用地、建物の確保や開学時期のめどがつかなければ特区認定の要件をみたすことは困難で、準備期間が足りないという以前に物事の順序が逆ではないか」と切り捨てたようです。
果たして、他の大学などの関係者も納得する「理由」でしょうか。用地を探し、取得(加計学園は無償譲渡してもらいました)し、そこに建設する建物の設計をして、などという準備と並行して教授陣の求人をする。万一、認可されなければ、すべては水泡に帰すことになります。
そのような危ない橋を渡ることができるものでしょうか。
ましてや、地元今治市では加計学園が認められたというその日に土地の譲渡を決定したはずです。行政の手法としても、とても信じられない早さですし、建設費の補助にしても同様です。
「ニワトリと卵」という話は森友学園のときにも出ていました。
「物事の順序」が逆なのは、京都産業大学ではなくて、加計学園ではないのでしょうか。認可されるかどうかが不透明なまま、準備をしてきたことに、国民は不信感を持っているのです。
政府としては「加計学園が、独自の計画を準備していた」と逃げるでしょうから、どうしても学園の理事長から「認可の目算」がどうだったのかを聴かなければならないのではないでしょうか。建物は内部を変更すれば他の学部に転用できるかも知れませんが、教授陣はそうはいきません。中には現在、他の大学で教えている人たちもいるのでしょう。万一、認可されなければ戻る術はないはずです。
それこそ、「暗黙の了解」のもと、事が進んだとしか考えられません。その説明を理事長が明快に説明できるのかどうかではないでしょうか。
この官房長官談話が、予算委員会の質疑に影を落とすことになるのではないでしょうか。
「お友達の輪」は、森友学園では総理から切りましたが、果たして今回は守り切るのでしょうか。