びわ湖環境ビジネスメッセ2010

長浜市の長浜ドームで開催中の「びわ湖環境ビジネスメッセ2010」に行って参りました。


環境メッセ看板



今回の環境ビジネスメッセには313の企業が出展していましたが、中にはマレーシア工業開発庁大阪事務所・インドネシア貿易振興センター・カナダ領事館・ミシガン州経済開発公団・韓国技術ベンチャー財団といった外国からの出展や、県内を中心とした大学(滋賀大学・滋賀県立大学・長浜バイオ大学・京都大学・立命館大学・龍谷大学・京都工芸繊維大学・成安造形大学・京都学園大学)や彦根市内の企業の出展もありました。

「びわ湖環境ビジネスメッセ」は今回が13回目の開催で、環境にかかわる様々な企業の大きなPRの場として活用されていると思います。

会場の長浜ドームは、アリーナ面の面積が8,880屬箸箸討盥いので、急ぎ足で数カ所のブースを見学いたしましたが、それでもたっぷり4時間かかってしまいました。

訪れたいくつかのブースをご紹介します。最初に、「大阪湾フェニックス計画」を出展している大阪湾広域臨海環境整備センターについてご紹介します。


大阪湾


処分量


彦根市では年々増加する焼却灰をこの処分場で処理をお願いしていて、その額は年間3,200万円(平成21年度決算)の支出をしているところです。しかし、この処分場も平成33年度には一杯となり、それ以後の目処は立っていないのが実情です。焼却灰の量を減量するためには、市民が出すゴミの量を減らすことが第一の対策ですから、市民の皆さんのご協力をより一層お願いしたいところです。

処分場は、環境保全に充分な配慮をするため、集塵設備や拡散防止シートを使用し、更には排水設備においてもしっかりと管理されているとの説明を受けました。

埋立処分場の護岸についても海の再生・藻場の造成などに配慮されているとのことでした。

次に、TOTOの「どんぐりの森づくり」について説明を聞かせていただきました。最近非常に多くの熊が市街地にも出没すようになりましたが、その原因の一つは山のどんぐりの生育の悪さにあるそうです。こちらはテレビで得た情報ですが、昔は山間地と里の間に里山があって、緩衝地帯を形作っていたのですが、徐々に里山の自然が破壊され、そのことによって緩衝地帯を越えて熊や狐・狸などが里に下りてくるようになったとのことです。そしてもう一つには、日本では植樹といえば杉や桧といった木材用の植林が中心でした。山の水を保全する意味では杉や桧に限らず、どのような樹腫でもよいのでしょうが、お金になる植樹ということで、林野庁を中心とした施策が行われてきたというのです。しかし、特に山に住む熊などは、この時期にどんぐり(コナラやクヌギ・シイ・カシなど広葉樹であるブナ科の果実の総称です)を食べることで冬眠の間の栄養を補給しているので、山のどんぐりの収量が少ない今年は特に影響が大きく、市街地に出没する結果となっているそうです。


どんぐり


TOTO


このような施策や自然環境の変化を踏まえて、TOTOでは「どんぐりの森」を全国に広める運動をしています。その説明を聞いて、経済発展に依存し過ぎたツケが人間を通り越して自然に生きる動物たちにも影響していることを知りました。

私も彦根市犬上郡営林組合の議員でもありますので、このことについて次回の11月組合議会でこのことについて発言をしたいと思います。

今年春に宮崎県で発生した口蹄疫の際に、その後の処理作業で使用されたプロテクトスーツの説明を受けました。この企業は滋賀県長浜市にある企業で、軽量で透湿性があり奮迅や油汚れに強い不織布を使用しているとのことで、戦国武将の家紋の入ったパーカーを頂戴しました。


もったいない


会場の外には彦根市内を走っているNPO法人五環生活のリンタクも来ていましたし、電気自動車も展示されていました。

リンタクは以前は観光に来彦された方をターゲットにしていましたが、現在は営業区域も拡大し、福祉の面においても活躍されています。外に出かけにくい高齢者の足として、着実に利用者が増えてきているようです。

更には、乳幼児の検診や子ども連れの買い物などに、自家用車を利用できないお母さんたちにも利用が広がるとよいと感じました。



福祉りんたく


電気自動車


最後に、普段から仕事の上で大変にお世話になっています彦根市内のアケボノ特機のブースにおじゃましました。


アケボノ特機看板


安井社長と


安井社長がブースにおられましたので、同社が開発された不法投棄監視カメラシステムの説明をお聞きしました。不法投棄は近年少なくなってきたように思うのですが、それでもなくなることのない始末の悪い行為です。このカメラがこのような悪行追放に一役買ってくれると嬉しいものです。 

広い会場を後にするとき、目の前の琵琶湖がとても清々しく、この水を守り続けなければならないと思いました。


予防医学への取り組み

予防医学に取り組むことは、増大している医療費の削減に大きな効果をもたらします。今後ますます高齢者は増加し、精神疾患の患者の増大も危惧されることから、医療費の増加は必然であると考えます。

確かに、医療の現場での大切なことは目の前の患者であると思いますが、医療とはそれだけでないと思います。医療技術の進歩に伴い、高額医療費を要する治療法や手術が増加していることも一因でしょう。

しかし、今後、それらの医療費を、共に支え合う精神で作られた健康保険制度が崩壊してしまえば、米国と同じように金持ちしか医療を受けられないということも考えられます(オバマ政権で、新しい健康保険制度を創設する取り組みは始まっていますが)。我が国では後発医薬品の利用を促進するキャンペーンも始まっています。

団塊の世代は今後社会の第一線を去り、彼らが健康志向の中で社会貢献してもらうためには、予防医学に力点を置いた病院経営をしていく必要があると思います。

医療の問題を病院経営という観点から考えると、健康保険制度や生活保護受給者の医療費扶助、現実に僅かな国民年金で生活をしつつ病気にならないようにと質素倹約を旨として生活している人たちのことなど、様々な生活全般にかかわる諸制度との関係を明らかにしていかなければなりません。

経済の失速に伴う税収減の中、いつまでも「公費負担」を原則として、などということを言い続けることができるのかどうかが心配です。

そのようなことを防ぐためには、予防医学を充実していかなければならないことは明らかだと思います。病気にならないように、病気を発見したとしてもそれが早めの発見であるようにしていくことが重要だと思います。

議会では、病院経営について単に債務残高だけを見ての発言が見受けられます。私はそうではないと思います。視野の狭い議論ではなく、様々な医療にかかわる制度全体を広く見る中でないと、決して明るい将来を迎えることができないと思います。

今一度、議員はもとより、市民全体でこのことについて議論をしていく必要があると考えるのは私だけでしょうか。 


総務常任委員会視察報告

10月4日から3日間、総務常任委員会の視察に参りました。

視察先は、埼玉県戸田市、神奈川県相模原市、そして東京都多摩市です。

出発前、米原行きの電車に途中で急病人が出たとのことで、接続予定の新幹線に乗れずに後続に変更。名古屋までこだまで行き、名古屋から「のぞみ」に変更という段取りになりました。

戸田市は都心から20劼離戰奪疋織Ε鵑如戸田ボートレースのある町です。そのボートレース場の水質浄化にイケチョウガイを3,000個投入して効果を発揮しているとのこと。これを港湾の水質浄化に採用できないものでしょうか。そもそも、イケチョウガイは琵琶湖特産の淡水真珠の母貝であるため、生息のための問題はないのではないでしょうか。

さて、戸田市には「政策研究所」が設置されていて、全国的な知名度の低い戸田市でもあり「地域ブランド力の向上」を目指しているそうです。その意味では、彦根市にはひこにゃんと彦根城いう力強いツールがあるわけですから、更に活用法を考える必要があると思いました。


総務視察01


総務視察02


次に訪れた相模原市は本年4月に政令指定市になった町で、人口も70万人と比較にならないのではないかと思いながら参りましたが、さすがにそれだけの規模のある町ですから、「アクションプラン72」という解決していくべき課題を取り上げ、その実現に向けて鋭意取り組みを進めているところでした。



総務視察04


また、公立病院を持たないため、財政的にも余裕があり、実質公債比率5.0%ということでした。

彦根市をはじめとして、県内では大津市、近江八幡市、東近江市、長浜市、高島市などにはそれぞれ公立病院があって、公立病院を持たない市においては比較的財政的な余裕のある市との差を常日頃から実感しているところでしたが、市民の「安心」という面では財政面(病院会計への一般会計からの繰出金の多寡の議論)だけの比較ではなく、万一現在ある民間病院が撤退するなどのことまでも展望しておかなければならないと考えています。相模原市では北里大学病院をはじめとして民間病院が医療を担っていますが、地方における状況は病院というハードウエアの有無だけではなく、そこに勤務する医師をはじめとする医療従事者への思いやりが必要であることを痛感しています。

昨日(17日)にも彦根市立病院のフラワーポッドに水遣りに行きましたが、日曜日であるにもかかわらず16時からの1時間に3台もの救急車が到着するなど、日夜を分かたず懸命に市民の緊急事態に対応していただいている現場を目の当たりにするにつけ、頭の下がる思いがしてなりません。

私が思うには、議会での議論の中では、財政面での議論が優先し過ぎているように思えてなりません。確かに財政に関することは重要なファクターではありますが、例えば市立病院を建設する時に起債を承認したのも議会であるにかかわらず、債務残高が多いということであるとかの質問がされています。ましてや個々の些細な行き違いをも議会で取り上げるなどということは、医療従事者の市民の健康維持・増進に向けようとしている意欲を減退させる以外のなにものでもありません。そうではなく、今ある設備や人材をいかに活用し、増収に結びつけていくかを議論すべきだと思いますし、病院の収益が上がるということは、健康保険の負担を増大させるという結果を招くという、別の視点も必要です。予防医学を実践している長野県の取り組みなど、見習うべきことがまだまだあると思います。批判が批判だけに終わるような議論は終わりにして、建設的な議論を求めたいと思います。


総務視察05



総務視察06


最後に訪れた多摩市は、多摩ニュータウンに象徴される、まさにベッドタウンです。ここでは、今、彦根市でも「まちづくり基本条例」の議論が進められている「自治基本条例」が制定されています。また「議会基本条例」も制定されています。

議会基本条例では、市長に反問権を認め(彦根市では認められていません)ていると同時に、必要に応じて市長からの発言を認めています。「反問権」とは議員が質問した事項について、攻守立場をかえて市長が議員の質問におかしいところがあれば質問できるというシステムです。このことで、議員も自分の発言に責任を持たなければならないということになります。質問する事項について議員自らが充分に精査して、そのことに対して反問されたときまでもシミュレートしておく必要があります。このことで議会における発言についての緊張感が高まることになると考えます。

一方、「自治基本条例」は、地方自治における「最高規範」であることが明記されていて、「まちづくり」における基本姿勢を明確にするという意味でも意義あることだと実感いたしました。町がどのような方向を求めていくべきであるかの議論の上に立って制定されるべきものでありますから、この条例だけができても町の進むべき方向性がなければ「仏つくって魂いれず」になるおそれはありますから、高齢社会を迎える今こそ、早急に議論をしていく必要があると思います。

多摩市においても、昭和46年に市制施行がなされ、その頃からのニュータウン入居者などは既に高齢者の仲間入りをしている人が多数を占めています。滋賀県は流入人口もそれなりにありますが、彦根市は京阪神への通勤圏からは幾分外れていますから、充分な人口増加は見込みにくいわけですから、同じような状況にあることも事実です。このことは私の住む自治会と、ある意味共通点を持っています。

彦根市議会でも議会開放プロジェクトでは会派を超えて、より市民に身近な議会を目指していますが、多摩市では会派を超えた議員全体で先に記した基本条例の制定についての啓発や出前委員会を開催して、(自分の支援者だけではなく)市民全体と向き合う姿勢を持っていました。大変に重要なことだと思います。囲い込むのではなく、市民とともに市政を創り上げていくという姿勢に感銘を受けました。

今回の3市の取り組みを通じて、しっかりと彦根市政にフィードバックできるように今後とも頑張りたいと思いました。 




彦さとまつり

10月16日、朝から再び大津へ。

勉強会がありましたので、大津へ行きました。来年春の統一地方選挙に向けて、注意しておくべきチェックポイントの確認作業でした。

そして、午後一番からは、前日に準備作業をお手伝いした「第6回彦さとまつり」に参加いたしました。この企画は、佐和山学区の人権教育推進協議会、民生委員児童委員協議会、社会福祉協議会などが協賛して「彦さとまつり実行委員会」を構成して6回目を迎えます。

会場の東山児童遊園を会場に、近くにある彦根社会就労センター(共同作業所)の皆さんも参加して行われています。

午前中のアトラクションについては、学区自治会連絡協議会会長として参加いたしました夫が撮影した写真でご紹介しておきます。


彦さとまつり2010看板


ひまわり太鼓


ワイルドストロベリー


ジャグリング


夫が手伝いましたうどん100杯は90分ほどで完売したそうで、たくさんの方々が参加された様子がうかがえます。

私は午後からの参加でしたので、幾分会場の慌ただしさも落ち着いていたようですが、 昔から仲良くしている養護学校出身の方にも出会うことができました。彼女は現在は一般の企業に勤めていて、生き生きとしている様子でした。


森本実行委員長


午後3時には後片付けに入り、少ししかお手伝いができなかったことを申し訳なく感じながら、会場を後にして、市立病院の先生と約束しておいたフラワーポッドの水やりに向かいました。

市立病院での感想を二つ。彦根市立病院では10月から敷地内が全面禁煙になりましたが、ポッドの中に吸い殻を幾つか見ることができましたし、駐車場に向かう人の中にも煙草を口にくわえている人を見かけました。また、休診日であるとはいうものの、玄関前の駐車スペース以外のところに駐車している車を数台見かけました。

いずれも、ルールを守って、気持ちよく病院を利用できるようにしたいものです。


恩師

先日、同窓会の代表幹事をしている夫のところへ、同級生からメールが届きました。

10月10日の「3回目の成人式」の影響でしょうか。

数年前、当時の担任の先生が亡くなられて時間もたつので、当時の先生の思い出や、そのことによる「今の自分への影響」を集めてみてはどうか、という提案が届きました。その当時、何人かが文章を書いたようですが、結局完成せずに終わってしまいましたが、それでもその火はくすぶり続けて、先日の「3回目の成人式」で再燃したということなのでしょうか。

私の高校3年生のときの担任の先生は、私たちが彦根東高校を卒業後、他の高校へ移られたのですが、若くしてお亡くなりになりました。

しかし、私たちのクラスに多くのことを遺していただきました。彼の文章を少しご紹介します。
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私のS先生への思い出はまず、その容姿、小柄で色が黒く目がぎょろぎょろしていたということです。40年近くすぎましたが、その顔つきはいまだに鮮明に思い浮かびます。私は中学校の時は勉強が出来るという自負があり、どちらかといえばクラスでも中心にいたと思います。ところが東高に入ってみると回りは賢いやつばかり。授業も良く分からないのにどんどん進んでいくし、模擬試験でも下から1/3に入っており、目立たない生徒で、おおよそ高校の先生には私の印象はなかったと思いますし、こちらから先生に近づいていこうという気持ちもありませんでした。三年になりS先生のクラスになったとき、国語の先生でよかった(英語、数学は苦手でかろうじて国語だけ少し自信があったので)そんな思いでした。だから、進路指導もしていただいたのでしょうが、まったく先生と話をしたことを覚えていません。でも何故か心に残ったのか。それは多分、当時若者のはやりでしたが、私も左翼的な思想にあこがれ、社会研究会などにも席をおき、ベトナム戦争反対などと口走って時、何か先生が授業や普段話しをされる中に社会主義的な同志的な臭いを感じたからだと思います。当然当時の私は青臭く浅い考えで、後で知りましたが先生のご苦労された自身の経験の中から育まれた信念、考えとは根本的に違いますが、そんなこと分かりませんで何か親しみをおぼえていました。そうした学年生活の中でやはり強く心に残ったのは「学級委員選出事件」でした。これは、学級後期委員選出にあたって男子が結託して一部女子を選んだことです。その時皆口には出さなかったが「皆大学受験が大変なので、面倒なクラス委員は就職の決まっている女子にしてもらおう」というのが本心、理由だったと思います。このことでクラスが紛糾し、放課後クラス討議を何回かしました。この時、男子は自分達の狡さを隠し、もっともなことを主張していたように記憶しています。私自身は皆に同調していましたし、何回かの討議の間中も「こんなことで時間をつぶすより、早く家に帰って英単語の一つも覚えたい」という心境でした。それよりもその時、皆が納得できるよう何度も討議することをすすめられた先生の気持ちが解りませんでした。ただ、自分の意見は一言もおっしゃらず最終私達の決めたことを尊重されました。結果は、確か後日再選挙し、やはり同じメンバーが選ばれたてように記憶しています。また、この時遅くまで残って話し合いをしていた時、U先生だったとおもいますが、「君達受験生がこの大事の時期に何をしてるんだ。早く帰りなさい」と注意にこられ、当然このことは職員室でS先生にとって立場の良くないことだったと思いますが、このことも一言もおっしゃらず私達が十分に討議することを時間を与えていただきました。

後年、先生が亡くなられ先生の歩んでこられた道を知った時、先生はあの時どんな思いだったのかを考えた時、私達は随分残酷な教え子だったように思います。弱者に優しく社会正義を大切にされた先生にとって、常日頃教えてきた生徒が世俗的な狡さでこのようなことをしたことを、その事を皆で話し合い間違いに気づいてくれることを期待したにもかかわらず、そうならなかった。先生にとって一言も二言も話したかったと思います。人生にとって大事なことを教えたかった。だけど説教くさいことはや押し付けがましい事はおっしゃられず、私達の結論を尊重された。

今思えば、何故あの時先生の寂しそうな目に気がつかなかったのだろうと悔やまれます。また気付くことのできなかった自分の未熟さが悔やまれます。この出来事が、いつまでも私が先生の顔をそれも悲しそうな顔を忘れられないでいる理由です。

あれから40年近くが過ぎ、それでも昨日のような想いもしますが、これから先今まで生きてきた時間は生きられない訳ですが、今この年になって、S先生の大きさが分かるようになり、先生と話がしたいそんな思いです。今日までいろいろな事を経験し、いろんな事にぶつかり、また小なりとはいえ会社を経営してみて、やっと先生と向き合える自信もつきました。しかし、それがかなわぬ今、私がこれから生きていく生き様に、先生のおかげで少しは世の中に役立つ人間になったよと、先生の良きDNAはきちんと伝えていきますよと、そんな心掛けでいきたいと思います。先生の蒔かれた種を咲く花の形は違うかもしれませんが、次へ繋げていくことを墓前にお約束して筆を置きます。

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私も、この彼の経験した事件の渦中にいた一人として、そのことが今の私に繋がっていることを改めて認識しました。社会正義を実現することの本質と民主主義の大切さを、私たちに現実に起こった事件を解決していく中で伝えようとされたのだと思います。 

是非ともこの文集を完成して、先生の墓前に捧げて、「先生のおかげでみんなが社会のためになるようにと頑張り続けていきます」という報告の機会を作りたいと思います。

青春期の大切なことを今更ながらに実感したものでした。



 

 

 

 

 

 

 


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