県庁へ

10月14日午後、障がい者のための専攻科を設けようとされている専攻科滋賀の会の皆さんの全国大会(第7回全国専攻科研究集会)が滋賀県で開催(12月12日)されるにあたって、知事からプログラムへのメッセージ提供依頼のお願いに県庁へ行ってきました。


知事室にて


障がい児に対する教育の機関としては、養護学校がありますが、初等科・中等科・高等科とありますが、18歳に相当する高等科を卒業すると、そのまま社会に出なければなりません。

かつては、障がいをもった人たちは世間の目に触れないようにと、学校にも行かず、家の中でただひたすらに隠れて暮らしていたのが現実でした。しかし、多くの先人のご苦労によって、盲学校や聾学校が設立され、その後には養護学校が設立されるようになり、ようやく社会との接点を持つようになったのです。特に、1979(昭和54)年以降はこれらの学校が義務教育化されたことによって、それぞれの障がいに応じて対応するようになったものです。


県庁にて


県庁002


現在では、発達障害を持っている子どもたちに代表されるように、障がいを持つ子どもたちは進歩の歩みが遅いだけであるので、18歳で社会に放り出すような現在の受け皿をせめてもう2年、専攻科の生徒として対応してあげてほしいというのが全国大会を開催される方々の願いであるわけです。

養護学校では、1(教職員)対1(生徒・児童)での教育の機会が与えられているのですが、多くの卒業生が入る共同作業所の多くでは1(職員)対10(障がい者)が多く、戸惑いを感じてしまうと同時にそのシステムに対応できずに通所が続けられないケースも多いと聞いています。

以前にも書きましたが、厚生労働省の計算では、全人口の5%の人たちが何らかの障がいを抱えて生きているとの報告もあります。彼らは自らの責任で障がいを抱えたわけではないわけですから、社会が共に支えるとして考えを持たなければなりません。親が元気でいる間は何とか生活ができても、必ずや親が先に亡くなっていくのでしょうから、その先のことも見据えた施策が必要だと思います。

知事室での依頼の後、中沢県議の取り計らいで、彦根東高校の先輩でもある末松教育長と少しの間、お話しをする時間を頂戴できました。


末松教育長


来月には彦根東高校彦根・湖東・湖北支部の「秋の集い」が行われます。昨年度のアトラクションでは、春のセンバツに久し振りに出場した母校の試合風景のDVD鑑賞でしたが、今年は夢京橋キャッスルロードにある宗安寺に関わりのある木村長門守に関する講談を聞くことになっていて、たくさんの先輩たちもお越しいただけると期待しています。既に国会議員(実は、母校出身の国会議員は全国の公立高校で最多となる5名)の中からも出席申込が届いているようです。

彦根東高校で学んだいろいろなことを社会に還元する意味でも、意味のある集いが行われることを期待しています。

こうして、県庁をあちこち歩くことで、いくらかでも社会がよくなるようにと願うものです。



元気フェスタ2010

「3回目の成人式」の余韻を残したまま、10月11日、陸上競技場を主会場として行われた「健康フェスタ2010」に行って参りました。
「健康志向」が叫ばれている今、多くの来場者がありました。AEDの講習を受けて、修了証をいただきました。AEDは心停止の状態にある救急患者を、救急車が到着するまでの間、心臓マッサージを併用しつつ使用する器具であり、一般人でも使用が認められるようになって数年たちます。



AED


AEDの使用にあたっては、,泙叉澣渕屬鮓討屐↓回りにいる人に声をかけて手助けしてもらう人を確保(AEDと並行して行う心臓マッサージには体力が必要ですので、交代で行う必要があります)し、あとは機械の指示に従って5ヽの操作を行い、た澗.泪奪機璽犬鯊海韻襦△海箸必要になります。救急車の到着は場合によっては5分程度かかることも考えられますので、交代で心臓マッサージを続けることが重要です。



ナース


会場には、子ども用のナースのユニフォームも置いてあって、着用して写真に撮ることができるようにしてありました。これからの時代、高齢社会の中で、医療や介護に関わる仕事への人材供給が急務です。このような意味からも、小さい時から関心を持ってもらえるようにする一つの企みでもあります。

他にも、カテーテル手術に関連して、血管模型で血管の位置を確認できる仕掛けなど、医療に関わるいろいろな体験もできるようにしてありました。江畑県議もお越しになっており、一緒に先生たちからお話しを聞くことができました。

さて、私が市立病院のことについて常に関心を持ち、議会でも重点的に質問をし、意見を述べさせていただいていることに対して、「病院そのものを守ろう」とか「病院という職場に勤務している人のために」と誤解されている方がおられるように思います。

多くの人たちは幸いにも健康で、病院に行ったことのない方もおられます。たまたま人からの聞き伝えによる評判などだけで病院を批判する人もおられます。当然、様々な人たちが勤務をしているわけですから、すべてが素晴らしい医療従事者だとは言えないかも知れません。しかし、一生懸命に市民のために日夜頑張っておられる医療従事者が多く、批判ばかりしていると医療従事者の心が萎えてしまうようのではないでしょうか。伝聞ではなく実体験をした上でなければなりません。人の話には、必ずやその場の状況や態度の裏返しもあり得ることです。

もしも、千葉県銚子市のように市立病院から医療従事者が消えてしまったら、どうなるのでしょうか。市民の健康を守っていただいている人たちの気持ちを考えないでいてよいのでしょうか。多くの悩める患者に温かい目を向けている人たちがそこにいることを肝に銘じて、私は彦根市民のために今後も「いかにすれば市立病院が地域の拠点病院として活躍できるか」に主眼を置いて頑張りたいと思います。


綿貫医師と


参加して医師2


彦根市立病院からも多くの医療関係者が参加しておられました。彦根市の医療における課題について話を聞き、あるいは私の考えを話す時間を持つことができました。 


参加した医師


後は、先日の東京方面の視察のレポートをお届けしなければ。


彦根東高校第17回卒業同窓会「3回目の成人式」

いよいよ平成22年10月10日が到来しました。夫が代表幹事を務め、私も実行委員の一員として準備を進めてきました「3回目の成人式」の当日が参りました。

今回の同窓会の出欠報告は、時代を反映して電子メールでの回答を基本として行われました。返信葉書の印刷代の削減が大きなテーマでしたが、それにも増して、緊急事態が発生したときにも、電子メールでの回答があれば、時刻の変更などにも即座に対応できるわけで、今後の同窓会の一つの方法だと実感しました。

夫は、午前6時に東京から夜行バスで到着した司会者(同窓生)を彦根駅まで向かえに行くなど、早朝から準備に大忙しでした。その後、引き続いて進行の打合せを行い、午前7時には会場のホテルへ移動して他の実行委員を交えて更なる打合せを行いました。

午前11時30分には私も含めて他の実行委員も集合して、最後の打合せ。 司会者は各地の結婚式披露宴で2,500組もの司会を経験している福永典明君。実は35年前の今日、私も彼の司会で結婚した2,500組のうちの1組です。


同窓会ロビー


ホテルのロビーでは受付の準備も整い、いつ参加の同窓生が現れても大丈夫なようにスタンバイできたのは午後0時30分。今回480名余りに案内を出して出席は71名。中には福岡県から参加の女性もいて、午後1時30分の第一次集合時刻に間に合うのかどうか、心配でしたが、第一次集合時刻に集合予定のメンバーは全員定刻到着。


同窓会受付


今回の同窓会には2つのオプションがついていて、そのスタートが午後1時35分。

玄宮園・彦根城を散策して母校を訪問するコースと、彦根城の内濠を周遊する屋形船に乗船して母校を訪問するコースの二つです。

学生時代によく歩いた玄宮園と彦根城とを散策するコースは、少し健脚向きで、今回限りのコースです。あと10年もすれば身体がついて行けないでしょうから。

ホテルから高校時代と同じペースで15分歩いて玄宮園の入口に到着し、そこから彦根城の天守閣に登楼したのが約30名。司会者の福永君はビデオカメラを担いで宴会の中でこれを紹介すべく、撮影に余念がありません。

一方、屋形船乗船コースは玄宮園前の船着き場から内濠を約45分かけて周遊します。普段見ることが出来るのとは違う角度から彦根城を眺めたり、石垣の様子を間近に眺めて、新しい魅力を見つけたり、と。


同窓会屋形船


午後3時20分には両方のコースが合流して母校・彦根東高校の正門前に到着して、母校OB会の事務局を担当していただいている吉田先生の案内で42年前と変わっているところ、変わらないままの校舎や旧御座所を案内していただき、改めて感動を覚えたオプションに感動を受けた同窓生が多くいました。


同窓会高校にて


母校の移転問題は、昭和56年のびわこ国体開催時に新しい体育館を建てるにあたり、彦根城内の現在地から出て行く約束を文化財を所管している文化庁との間で取り交わされたことに端を発していますが、やはり次代を担う青少年が教育を受ける場所としての環境としては、現在地に勝る場所はないとつくづく感じます。

彦根市では彦根城を世界遺産に登録をしようという動きがあり、既に文化庁の暫定リストに掲載はされていますが、その動きの一環として、同じく城内にあった近江高校は城外に移転し、更には民家のいくつかも城外移転を進めています。石川県金沢市の金沢大学も同じような理由で郊外へ移転したそうですが、夜になると通行人もまばらになり、治安上も決してよくはないという話を聞くにつけ、生活に密着した中での観光資源の開発が望まれるのではないでしょうか。

午後4時過ぎに、母校訪問ツアーの一行がホテルに戻り、恩師である中山實先生も到着され、参加者全員での集合写真の撮影に入りました。

でも、それからが大変です。配席については、以前の同窓会では「百人一首」の上の句と下の句を合わせる経験がありましたが、今回は元素記号での配席です。受付で貰った「Au」の札の人は「金」へ、「C」の人は「炭素」と書かれた席を探しての着席です。全員が着席するのに約10分。こうして、ようやく午後5時05分に「3回目の同窓会」が開始しました。


同窓会司会者


会場に進行の流れを映し出すスライドが流れる中、歯科医師の藤居正博君の開会の挨拶に引き続き、代表幹事から今回の「3回目の成人式」開催への経過説明があった後、物故者への黙祷。5名の恩師と24名の同窓生の写真が会場に映し出され、彼らの分もこれから一生懸命に生きていかなければとの思いを全員が持ったことでしょう。

そして、気分を一新する意味で「ラジオ体操」を全員で行い、来賓である中山先生の挨拶がありました。現役当時と同じ元気な声で、みんなに諭すように話しかけていただき、いつまでも衰えない活気を感ずることができました。その中で私たちへの教訓として、「60歳を過ぎたら、人生を社会のために貢献することが大切である」と。先生も退職後は自治会の会長や民生委員を長年務められ、実践に基づくお話しでしたので、間近でその経過を見ている私としては納得の一言でした。

引き続き、中山先生の発声で乾杯があり、後は各テーブル入り乱れての懐かしい思い出を語り、これからの人生を熱く語り合うひとときとなりました。


同窓会全体風景



スライドでは、卒業当時の事件(東京・府中市で起きた「3億円強奪事件」や「東大安田講堂炎上事件」など)の写真が紹介されたり、卒業アルバムから体育大会や文化祭、修学旅行の写真、実行委員が寄せてくれた思い出の写真が披露される中、参加者の紹介がありました。クラスごとに壇上にのぼり、1クラス3分程度で紹介。


同窓会3年1組


同窓会3年9組


参加者の中には、見事に和服を着こなしている薬剤師の亀山直子さんも。


同窓会和服


私のクラスは最大参加の10名。端折っての紹介でしたが、参加者全員の生活が見え隠れしていました。


同窓会司会者と幹事


同窓会閉会挨拶


司会者と代表幹事は時間配分について打合せをしながら、応援歌と校歌の大合唱の中、定刻どおりに大団円を迎えました。内科医師の北川成子さんから閉会の挨拶の後、恩師への花束贈呈があり、いよいよこれでお開きかと思っていましたら、予想もしていなかったハプニング。


同窓会恩師


最初に書いたように、実はこの日が35回目の結婚記念日であることをすっかり失念していた私と夫へ花束贈呈をしていただきました。これは実行委員会の中で密かに計画されていた(9月25日の実行委員会を途中で退席した後に決定されたそうです)ということで、大きな驚きでした。


同窓会博史と真理子


確かに、同級生で結婚したことが、夫が同窓会の終身幹事として今回まで11回の同窓会を計画し続けてきた理由ではありますが、今後も力の続く限り、二人で頑張り続けたいと思います。

午後8時過ぎに、「3回目の成人式」は終了しましたが、その後は約40名が繰り出して二次会。そして更には三次会へと流れて行きました。

今回出席した同窓生の中には県議会議員もいますし、市議会議員も2名います。更には、行政の中核として政策監をしている者もおります。

社会が不安定な今、それらの人たちが力を出しあって、より素晴らしい社会づくりへと働いていかなければならないと思いました。また、首長になって郷土を盛り上げたいと力説する同窓生もいました。私も力添えをしていきたいと思いました。

42年の時間があっという間に消え去って、学生時代と何の違和感もなく語り合うことができた3時間は、明日への活力となって頑張らなければならないとの思いを強くいたしました。

実行委員の皆さん、本当にご苦労さまでした。








第50回記念大会 市民運動会佐和山学区大会 

いよいよ、書き溜めていた最後の原稿です。これを書き終えれば、明日からの視察の最終準備に入ります。

雨の心配された中、10月3日午前8時30分、佐和山小学校校庭は大きな歓声に包まれました。

なにしろ、入場行進は来賓として立っていましたので、写真を撮ることもできずにいましたが、この大会の入場行進の先頭を、世界のアイドル・ひこにゃんが歩いてくれたのです。

公務忙しい中を、第50回大会ということで、来賓紹介でも教育長などに次いで筆頭に近い扱いで紹介を受けたひこにゃんでしたが、行進の先頭を歩いてくれるだけで、天気も閉会まで保ちそうな気がしました。

この大会は、戦後しばらくして開始されたもので、たぶん国民の体位と体力向上を目指し、更には地域の繋がりの強さを作るために始められたものでしょうが、来賓の挨拶の中でも「地域の絆」という言葉が耳に残りました。

日本全国で頻発している高齢者の行方不明問題がようやく一段落したようにも感じられますが、しかし、こうした機会に地域の繋がりをより強くする必要があると実感いたしました。

ひこにゃんは、開会式が終了すると次の公務のために退席されましたが、その帰り道でも、気さくに写真のポーズを取るなど、まだまだ彦根のために頑張っていただかなければならないと思います。


佐和山小でのひこにゃん



お疲れも出るでしょうが、よろしくお願いいたします。 写真は退場後の後ろ姿ですが、1枚だけ撮ることができました。

さて、会場には消防第5分団も全員集合で消防団のPRに来られており、地域を守るための中核として、若い世代が入団していただけるとよいのにと、思いました。先日、高松市へ研修旅行に行かれたそうですが、松宮光敏消防団長の話によれば、全員が肩を組んで歌をうたい、午後11時30分には全員が宿舎に揃って戻ってくるなど、近年になく統一のとれた意識の高い団員が揃っているそうです。


消防隊紹介


今後とも、地域の守りをよろしくお願いいたします。

さて、私ども千鳥ヶ丘自治会も、かつては子ども会会員が100名を超す時代があったそうですが、現在は70歳以上だけの世帯が3分の1を数える高齢自治会になりました。しかし、近くの山之脇町では新しい団地ができて、若い世代がどんどん流入し、揃いのTシャツでこの大会に出るなど、活気みなぎる地域づくりができているように思います。


山之脇町


さて、千鳥ヶ丘自治会は一応全部の町別対抗レースに登録はしてありますが、役者不足であるため、残念ながら高得点を得ることはできませんでしたが、参加25自治会のうち、13番目の得点を稼ぐことができました。中でも400メートルリレーではあと少しで決勝進出というところでしたが、年齢制限のあるこの競技では、選手候補が少ない中から無理をして出場していただいたせいで、残念ながら3位での予選敗退でした。


400メートルリレー


一方、キャリーボールリレーでは堂々の2位。そして玉籠リレーでは1位を獲得して、中核維持の原動力となりました。


キャリーボールリレー


昼食時間が近くなり、佐和山学区子ども会指導者連合会が毎年している「佐和山うどん」を覗いてみました。


子ども会のうどん


忙しくしておられる中をワンショットだけ。昼休みには長蛇の列ができて、てんてこ舞いの様子でした。

スポーツ少年団の少年たちもうどんを食べながら、練習のない日曜日を楽しんでいるようでした。


スポ少


昼休みには、「舞宇夢赤鬼」による演舞が披露され、会場に大きな拍手の渦が起きました。


舞宇夢01


舞宇夢02


舞宇夢03


舞宇夢04


大変に活気のある舞で、こういった若い人たちの活力が彦根の発展に繋がるのではないかと感じました。


舞宇夢05


この辺りから天候が怪しくなりましたが、閉会式までなんとか天気は保ったと言ってよいでしょう。閉会式終了とほぼ同時に雨が降り出し、大慌てで会場を後にしました。

そして最後に特筆すべきは、50回大会記念の大抽選会で、1等3本のうち1本を千鳥ヶ丘自治会の方が当選したことです。なかなか当選者が出ないと思っていましたが、ようやく、という感じでした。

砂埃と、雨で少し濡れたテントは休み明けの好天の日に干すことにして、ですが、明日からは視察に出発させていただきます。

彦根市の将来のために役立つ情報を得て参りますので、自治会の皆さま、お許しを。


ぴゅあくらぶ・みつば おしゃべりランチ

佐和山学区市民運動会から帰って、明日出発する総務常任委員会の視察の準備をしながら、一昨日あった「おしゃべりランチ」について少しだけ書いておきます。

10月1日午前11時から午後1時まで、荒神山の子どもセンターで「おしゃべりランチ」は開催されました。


自然の家02


「ぴゅあくらぶ」は「食や環境、子育てについて話し合う団体」で、今回は大人15名とその子どもたちがおにぎり持参で集まりました。

「食物と健康に関する色々なお話しを、おにぎりを食べながらワイワイお喋りしましょう」という企画です。20代から30代の子育て中のお母さんと、かつて子育て経験のある私が加わっての14名です。持ち寄ったおにぎりの材料、工夫したことを話し合いにがら、それぞれ持ってきたおにぎりや煮物などを交換していただきました。


お弁当01


大変に美味しかったのですが、それより何よりも、若いお母さんたちが自らの子育てについて真剣に考えているということに感心いたしました。


お弁当02


参加されたお母さんたちの中からは、こんな意見が出ておりました。

―仍困鬚垢訌阿蓮⊃物にはほとんど関心がなく、おやつやファストフードをよく食べていた。週末はお酒をよく飲んでいたが、出産後、食生活の大切さに気づき、食事を丁寧に考えるようになり、生活も規則正しくなった。

⊃道劼箸發僕颪半麦粉のアレルギーがあったが、無農薬の野菜を選ぶことや、食品の添加物に気をつけた結果、親子ともにアレルギーが改善した。これからの心配は学校給食のことです(ちなみに子どもは1歳)。アレルギーのある子どもはお弁当になるのでしょうか...。

皆さん、20〜30歳代の若いお母さんたちですが、お米は五分づき、七分づき、雑穀米を通信販売などで購入し、安心な食材を選び、手作りの食事造りに努力されていることに感心しました。

・ゴーヤの煮物
・キュウリのぬか漬け
・カボチャ、サツマイモ、粟餅の焼きおにぎり
・レンコン、カボチャの胡麻和え
・雑穀米のおにぎり
・スティック状のおにぎり(これは、幼児の小さい手に持ちやすく、小さな口にも入りやすい良いアイデアでした)


自然の家01


約2時間のランチ・タイムでしたが、和気藹々と仲良くランチを楽しむことができました。

私からは、皆さんの関心事である「中学校給食の現状」についてお話しをさせていただきました。

平成20年3月議会で、PFI方式による中学校給食が提案された平成21年度当初予算案について、PFI方式への疑問(たまたま同じ時期に近江八幡市での市立総合医療センターにおけるPFIで始まった事業の買い戻しが話題になった時期でした)、15年間で約68億円という経費をかけてよいものであるのかとの是非を巡って議論があり、平成21年度当初予算についてその部分についての否決にあたる修正案が可決され、その後は進展していないこと、平成22年9月議会での市長への質問に対して、「中学校給食は実施の方向で施策としてその優先順位は高い」との答弁があり、給食センターの候補地として安食中町にある地方卸売市場の一部を充てることを検討していることなどを説明させていただきました。

ランチを終えて、荒神山の裾を流れる宇曽川を見ていると、ゆったりとした流れの中に、「子ども達を育てよう」というお母さんたちの活き活きとした思いが感じられ、彦根の将来に希望が持てると思いました。


宇曽川



 


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